『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』がゲーム原作映画の歴史を変えた作品と呼べる“納得の理由”〈世界中で大ヒット〉 | ニコニコニュース
「史上サイアクの映画」「ダークすぎる」酷評され大ゴケした前作から30年…全世界で1000億円以上稼いだ新作マリオが“レベルアップ”できたワケ から続く
映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の勢いが止まらない。
本作は、海外で公開されてから5日間で世界累計3億7000万ドルを越える興行収入を記録。これはアニメーション映画史上最高のオープニング記録となる。その後も記録を伸ばし続け、2023年4月24日時点で興行収入は1000億円を突破している。
日本国内では、4月28日より公開となった本作。当然ながら日本でもマリオの名は知られているわけで、記録的なヒットにつながる可能性はあるだろう。
昔からゲームが好きな筆者も本作を観たわけだが、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、“ただおもしろくてヒットする映画”なだけではなく、“テレビゲームという文化の在り方を見せつけてくれる作品”なのだと痛感させられた。
ゲームの映画化につきまとう困難
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、任天堂とイルミネーションが共同制作している作品である。『ミニオンズ』や「SING」シリーズを手掛けているイルミネーションが作るアニメーションとなれば、映画の出来に期待を持つ人は多いだろう。
ましてやこの映画には、マリオという世界的に有名なキャラクターもいるのだ。世界トップレベルのクリエイター集団に、世界最高峰のキャラクター。ゆえに評価も興行収入も盤石かと思うかもしれないが、ゲームの映像化は必ずしも成功するわけではない。
失敗する理由は…
それこそ1993年にハリウッドで映画化された『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』も評価はよくなかったし、ゲームの映像化作品は失敗も少なくない。
失敗する理由はさまざまだが、やはりゲームが“体験の文化”であることが大きい。プレイヤーが実際にゲームを遊んで、その世界を体験するからこそおもしろく、観る媒体の映画でただ同じものを描いては魅力が失われてしまう。下手な改変などしてしまえば、ひたすらに失望されるだけだ。
では何が重要かといえば、「ゲームの文脈とそれに対する理解」である。
失敗の代表例として語られる『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』
ゲームの文脈を読み違えて失敗した作品として有名なのが、2019年に公開された映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』である。
本作は著名なRPG『ドラゴンクエストV』を題材にした作品で、『ALWAYS 三丁目の夕日』や『STAND BY ME ドラえもん』で知られる山崎貴氏が総監督・脚本を務めている。
本作は終盤までは『ドラゴンクエストV』を3Dアニメーションで映像化した作品としてそれなりに評価されているのだが、オチに大きな問題がある。
『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は最後の最後に、「今まで体験していたものはゲームで、それはしょせん虚構である」と突きつけてくるのだ。とはいえ、「それも大切な思い出だよね」と、ゲーマー(ゲーム愛好家)を持ち上げて終わるのである。
話の流れとしてはゲーマー讃歌といえる内容なのだが、しかしこれはゲーム好きの逆鱗に触れる内容であった。そもそもの話、「ゲームが虚構で無駄である」なんて議論は過去のものであり、あまりにも時代遅れなのだ。
駄作の烙印を押されてしまう原因
いまやプロゲーマーやゲーム実況系ストリーマーが憧れの存在になる時代であり、そもそもゲームは日本が誇る重要な産業のひとつでもある。たとえば小説やドラマを楽しんでいる人に「それはしょせんフィクションだよね、フィクションだけど素晴らしいよね」と言ったら、「藪から棒に何を言っているのだ」と思われるだけだろう。
結局のところ、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はゲームがまだ見下されるものだと考えたうえで、それを上から目線で褒めようとした。しかし、その褒め言葉はゲーマーからすると侮辱にすら思えたのである。
このように、ただゲームに関して言及するだけでは取り返しのつかない大きな間違いを犯してしまうのである。ゲームの文化や文脈をきちんと理解したうえで映像化しなければ、駄作の烙印を押されてしまうのだ。
ゲームを愛する人たちが作った「ゲームによるゲームのための映画」
さて、では今回の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はどうだったのだろうか。作品の態度としてはもはや「みんなマリオは知ってるよね」というくらいである。
全般の印象としてはイルミネーションらしいファミリー映画といったところで、テンポのよいさまざまな楽しい映像を詰め込んだ作品だ。ただし、「マリオ」シリーズに関する大量の引用やオマージュ、そしてプレイヤーの過去のゲーム体験を想起させる作りすらたっぷり入れているのである。
もはやゲームに対する忌避感や、「ゲームは見下されるもの」なんていう認識の古さとは無縁の作りであり、平たくいえばゲームへの愛情を感じられる作品だ。これは最近の“ゲーム映像化作品”のトレンド、もしくは常識といえるだろう。
ゲームに対する捉え方が大きく変わった
2023年3月に公開された『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』という映画がある。この作品は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』というTRPG(テーブルトークRPG、卓上で紙・鉛筆・ミニチュアフィギュアなどを使用しつつ、会話しながら遊ぶゲーム)を題材にしている。
同作もまた高い評価を得ている作品で、原作を遊んだ人がニヤリとできる要素を随所に入れつつも、まったく知らない人も楽しめる王道娯楽映画に仕上がっている。そして、制作陣がTRPGに対する理解を持っているのは疑いようもない。
しかし、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はかつてアメリカで「悪魔崇拝のゲーム」と非難されていたことがある。若者の失踪事件と強引に関係性を見出されるなど、1980年代には相当悪く言われていた。いまから40年近く前、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』はそういう態度がとられて当たり前の作品であり、世間の“ゲーム”に対する認識も今とは異なるものだったのだろう。
だが、いまはどうだろうか? 優れた映画として『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』が世間に受け入れられたうえに、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』も大ヒット。幅広い層が楽しめる娯楽映画として受け入れられているのだから、ゲームに対する捉え方は大きく変化していると考えてよいだろう。
ゲーム文化の成熟
いつの時代も若い文化は叩かれるものだ。それこそ明治時代には、新聞が「野球害毒論」を載せていたそうである。WBCで大盛りあがりしていた状況を考えると信じられないが、とにかく新しい文化とは最初は受け入れられにくいものなのだろう。
テレビゲームも同じである。かつては否定的に捉えられるケースも多かったが、いまはかなり認識が変わった。もちろんいまなお根拠もなく悪い印象を持っている人はゼロにはなっていないが、それでも時代は大きく変わっているのである。
おじいちゃん・おばあちゃんがゲーマーでもおかしくない時代はすぐそばに
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、ゲームを見下した態度とまったく無縁である。それどころか、みんなの知っているマリオを表情豊かに描き、いろいろなオマージュだらけの楽しいファミリー映画になっている。
ゲームを遊んでいる人たちも大人になったどころか、かなり歳を取ってきた。ファミリーコンピュータで『スーパーマリオブラザーズ』が発売されたのは1985年。いまから38年前のことであり、このころ20歳前後だった人はいまや50~60代あたりだろう。おじいちゃん・おばあちゃんがゲーマーでもおかしくない時代はすぐそばに来ている。
テレビゲームという文化が成熟し、制作陣も観客もそれを愛する人が増えてきて、優れた映画作品という形でその事実が見えるようになってきた。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、まさしく「ゲーム文化の成熟」を指し示す大ヒット作品なのである。
(渡邉 卓也)