健康診断は「迷惑で無駄なこと」である…68歳の医師兼作家が「私は健康診断を受けていない」と豪語する理由 | ニコニコニュース
※本稿は、久坂部羊『健康の分かれ道』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■腹膜炎を起こしている人が健康診断に来るはずもない
健診のコースによっては、胸の聴診のあと、診療台に横になってもらい、腹部と下肢の診察をします。仰向けの状態で軽く膝を曲げ、検査着の前を開いてもらい、まずは打診をします。
左手を腹に当て、右手の中指でスナップを利かせて、左手の中指の第一関節をトントンと叩たたきます。これでいったい何がわかるのか。皮膚の下が実質であると鈍い音、液体だと柔らかい音、空気だと太鼓のような音がします。場所によって音がちがうので、受診者はいかにも何か診断してもらっているように感じるでしょうが、実際は何もわかりません。
腹水が溜っていると、波動を感じることもありますが、そんな人は健康診断には来ません。
打診のあとは左右の季肋(きろく)部(肋骨の下縁)に手を当て、お腹を膨らませるような呼吸をしてもらいます。そうすることで、右側は肝臓、左は脾臓の腫れを診断するのです。超音波診断をすればもっと簡単に、もっと正確にわかるのになと思いながら、真剣な顔でやります。いい加減だとすぐ相手に伝わるからです。
最後に、下腹部を指でぎゅうっと押さえて、パッと離します。それでビクッと痛みがあると、腹膜刺激症状といって、腹膜炎のサインです。しかし、腹膜炎を起こしている人が健康診断に来るはずもなく、ほぼ全員が「痛みはないです」と答えます。こんなこともサービスでしてあげることで、受診者はしっかり診てもらっていると感じるのです。
医者の側も、自分たちが特殊技能集団に所属していることの証明になるので、まったくのパフォーマンスですが、だれもやめようと言い出しません。
■「特に異常はありません=正常」ではない
腹部の診察を終えたら、「ちょっと脚も見ておきますね」などと言いつつ、検査着の裾をめくって、脛骨の前面を指で押します。ここは皮膚と骨が比較的密着しているので、浮腫(むくみ)があるとへこんでもどらないのです。
太っている人は、脛骨前面にも脂肪がついていますが、この場合は指で押さえてへこんでもすぐにもどります。下肢の浮腫は年齢的変化のほか、心不全や腎不全で起こりますが、健診を受けに来られるくらいなら、多少むくんでいてもどうということはありません。
さて、以上で健診の診察は終わりで、たいていの場合、受診者に「特に異常はありません」と告げます。ホッとする人、当然だという顔をする人、反応はいろいろですが、これはあくまで診察で異常な所見がなかったという意味で、完全に正常という意味ではありません。
今後、健康診断はAIが担当するようになるのではという意見があります。データの解析や判定は、人間よりAIのほうがはるかに正確で迅速だからです。そうなれば、聴診や腹部触診などの無駄な診察はなくなるでしょう。
しかし、最初の医者による問診だけは残るような気がします。AIではとても対応できない突拍子もない心配や相談が出るからです。先に書いたような奇妙な問いが返ってきたとき、AIは混乱せずに、人間らしい温かみのある対応ができるでしょうか。
■高血圧だとなぜ悪いのか
健康診断では血圧が高いことを気にする人が増えました。先に述べたように、高血圧の基準がどんどん厳しく設定されつつあるからです。
私の年長の知人は、高血圧恐怖症ともいう状態で1日に何度も血圧を計り、120前後でないと自分を許せず、服薬もいやなので、食事療法や運動療法に励み、気に入る値が出るまで深呼吸して血圧を計ったりしています。
健診の問診でも、「今日計ったら、140を超えていました。今までそんな高い値が出たことがないのにどうしたんでしょう」などと、真顔で心配する人もいます。
血圧が高いとなぜよくないのか。それを十分に理解して血圧を気にしている人は、どれほどいるでしょうか。
高血圧がよくない理由は、動脈硬化の危険性が高まり、心筋梗塞や脳梗塞などの重大な病気につながるからです。しかし、動脈硬化は血圧だけで引き起こされるのではありません。喫煙、肥満、高コレステロール血症、糖尿病、運動不足、遺伝的体質などが影響します。これらを危険因子といいますが、該当するものがいくつかある場合は、血圧を下げておいたほうがいいでしょう。
■むしろ低血圧で脳梗塞になる危険性も
しかし、タバコも吸わない、肥満もしていない、コレステロール値も正常、糖尿病もなく適度な運動もしている人で、身内に心筋梗塞や脳梗塞になった人もいないのなら、血圧が基準値を超えていても、あまり心配する必要はありません。
むしろ中高年の場合は、血圧を低めにすることで、脳梗塞などの危険性が高まることもあります。ですから、危険因子の少ない人は、血圧は今の厳しすぎる基準に合わせる必要はないと思います。
コレステロールも同じで、ほかの危険因子がない場合は、ことさら基準値内に入れるため食事制限をしたり、ましてや薬を飲んだりする必要はまったくありません。
それぞれの学会のずるいところは、全体の危険因子を無視して、自分たちの基準だけを押しつけてくることです。
もちろん、人間の健康には偶然の要素もありますから、危険因子が少なくても脳梗塞や心筋梗塞になる人もいますし、危険因子が満載でも長生きする人もいます。それは致し方のないことで、それを人間の力で変えることはできません。
■健康人を病人に誘うシステム
健康診断を受ける人は、健康であることを確認するために受けるのでしょう。受診者はそのつもりでしょうが、健診をする側はそれだけではありません。
検査をすることで異常を見つければ、再検査や治療の対象者が増える。つまり、業界の顧客を増やすチャンスという側面もあるのです。
医療というのはパラドキシカルな業界で、病気を治すことを目的としながら、病気が治ると収益が減るというアンビバレントな状況にあります。だから、医療が発展して患者が少なくなると、困るという痛しかゆしの側面があります。そんな本当のことは、もちろん医療者は口にしません。
逆に医師会などは、「一人でも多くの人が健康になることを目指して」みたいなスローガンを掲げたりします。でも、本当にみんなが健康になったら、困るのは医療者です。
そこで目をつけたのが、予防医学という広大な埋蔵資源の領域です。
患者さんがより安全に、より安心に暮らせるようにと、さまざまな検査の基準値を厳しくして、それまでのゆるい基準なら健康と判断された人を、どんどん病人と判定しています。されたほうも、専門的な情報や説明で納得させられ、ときには感謝さえする始末。医療者はみんなそのカラクリを知っていますが、業界に不利になるようなことはだれも言いません。
迂闊に健康診断なんかいらないなどと言うと、世間や医療界から「それで患者が増えたらどうする」、「手遅れになったらどうする」、「責任は取れるのか」などと、反論困難な攻撃が飛んできます。
健康診断に否定的なことばかり書いてきましたが、健康診断で安心する人も多いでしょうし、健康診断のおかげで病気が見つかり、早めの治療が功を奏した人ももちろんいます。だから、全否定するつもりはありません。
ただ、何事にもよい面と悪い面があるように、健康診断にもよい面と悪い面があることを知る必要があると思うのです。症状もなければ治療の必要もない「異常」を見つけて、精密検査を勧めたり、医療機関の受診を勧めたりするのは、やはり無駄で迷惑なことだと思います。
■ちなみに私は受けていません
健康診断の判定をする医者からすれば、いちばん避けなければならないのは見落としです。たとえば胸部X線撮影で、肺に気になる影があったとき、たぶん大丈夫と思っても、万一のことを考えると、精密検査を勧めることになります。
本当は異常なしと判定して、受診者を安心させてあげたいと思うのですが、万一、初期のがんで、見落としたため治療が遅れたら、医療ミスとして糾弾される可能性もあります。そう考えると、やはり「要精密検査」と判定するほうに傾きます。
さらに精密検査の設備もあるところは、「要精密検査」と判定すれば、患者が増えるという側面もあります。つまり、ダブルのバイアスがかかっているのです。
その結果をもらった受診者は、健康であることを確かめるために行った健康診断で、「要精密検査」と判定され、ショックを受けます。コメントには「たぶん大丈夫だと思うけど」とは書かれません。そんなことを書くと、それで安心して検査に行かない人が出てきて、手遅れになるとまた責任問題になるからです。
というわけで、安心のために受けた健康診断で、ハラハラドキドキさせられ、病院に行って長い待ち時間にイライラし、すぐに検査してもらえず、診察を受けて、予約を取って、検査を受けて、また改めて結果を聞きに行くという時間的、経済的、心理的負担をこうむるという側面が、健康診断にはあります。
それでも先にも述べたように、健康診断で早めの治療が功を奏することもあることを忘れてはなりません。健康診断を受けるべきか否か。それはこのような実態を知った上で決めるのがいいでしょう。ちなみに私は受けていません。
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小説家、医師
1955年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部附属病院の外科および麻酔科にて研修。その後、大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)で麻酔科医、神戸掖済会病院一般外科医、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(幻冬舎)で2003年に作家デビュー。『祝葬』(講談社)、『MR』(幻冬舎)など著作多数。2014年『悪医』で第3回日本医療小説大賞を受賞。小説以外の作品として『日本人の死に時』、『人間の死に方』(ともに幻冬舎新書)、『医療幻想』(ちくま新書)、『人はどう死ぬのか』『人はどう老いるのか』(ともに講談社現代新書)等がある。
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