学校がいじめと認めたのは3年4カ月後
■「いじめ」は違法行為か人権侵害、あいまいな言葉
文部科学省が2020年に公表した小中高・特別支援学校で認知されたいじめの件数は61万2496件。児童・生徒100人当たり4.65件です。これは学校が認知した件数なので、実際はもっと多いと推測されます。今、この瞬間も苦しんでいる子どもたちが大勢います。
「いじめ」という言葉。あいまいだと思いませんか。なぜ、このあいまいな言葉を使い続けるのでしょうか。学校や行政や大人たちが責任を回避しやすくするためでしょうか。「いじめ」と言うよりも、犯罪、違法行為、条例違反、人権侵害、ハラスメントと言った方が事態を忠実に表していないでしょうか。
いじめの大半は、犯罪、違法行為、条例違反、人権侵害、ハラスメントだと思います。そもそも、2013年9月に施行された「いじめ防止対策推進法」は第4条で「児童等は、いじめを行ってはならない」と定めました。いじめは明らかな違法行為です。
加害者も被害者も、このことをしっかり覚悟し、自覚した方がいい。発想の転換が必要です。いじめのせいで、教育が受けられなければ、教育を受ける権利を定めた憲法に反するといった話にもなりかねません。
「いじめ」問題を解決、抑止するために、次の2点を提案します。
①「いじめ」という、あいまいで無責任な言葉は基本的には使わない。
② 学校における「いじめ」という犯罪行為、違法行為、人権侵害などに対しては、状況に応じて警察など地域の関係機関と柔軟に連携し、毅然と対処する。
2015年11月。茨城県取手市で市立中学3年の中島菜保子さん(当時15歳)が自殺しました。
菜保子さんの両親は自殺の数日後、自殺といじめの因果関係について調査を求めましたが、取手市教育委員会は自殺と伝えないまま、生徒にアンケートなどを実施。「いじめはなかった」と結論づけました。学校は教育委員会には「自殺を図った」と報告しましたが、教育委員会は当初、生徒や保護者などに自殺と伝えない方針を決めていたそうです。
学校や市教育委員会は自殺の事実を隠蔽しようとしていました。「いじめはなかった」としていた市教育委員会がいじめを認めたのは2017年になってからでした。2017年8月、当初の調査を担当していた職員が菜保子さんの両親に謝罪しましたが、母親は無念の思いを拭ぬぐうことができません。
2019年3月、茨城県の調査委員会は「同級生から受けたいじめと自殺に因果関係がある」と認め、早期にいじめ防止対策推進法に基づく調査委員会を設置しなかった市教育委員会の対応を違法だと主張する報告書を公表しました。
「娘の訴えが受け入れられた。やっとたどりついた」
菜保子さんの両親はこう語りました。
菜保子さんの自殺から、3年と4カ月近い月日がたっていました。教員と学校、教育委員会など大勢の教育者たちが、大切な生徒の自殺を食い止められなかったばかりか、いじめとの関連を自ら明確にできませんでした。これは必ずしも特異なケースではないと思います。
警察の介入は必ずしも教育の放棄ではない
「いじめ」の定義は何度か見直されてきました。文部科学省は、いじめ防止対策推進法の施行に伴って、2013年度に次のように定義しました。
『「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない』
この中にある「心理的又は物理的な影響を与える行為」とはあいまいな表現ではないでしょうか。学校という特殊な空間の中で、教育をいわば“治外法権”の中と捉え、社会と隔絶された世界をつくっているとすれば、おかしなことです。
「心理的又は物理的な影響」を重大なケースで言い換えれば、脅迫罪、強要罪、恐喝罪、殺人罪、傷害罪、器物損壊罪などに該当する可能性があるのではないでしょうか。また、人権侵害やハラスメントを含めると、いじめのケースの多くをくくることができると思います。いずれも違法行為、ルール違反です。人権擁護の意識は世界のコンセンサスです。
学校も実社会の場です。学校の中だから、教育的配慮が必要だから、などと理由を付けて結果的に対応があいまいになっていないでしょうか。
「犯罪行為、ルール違反には相応のペナルティーが科される。学校は聖域ではない」
子どもたちにこう説明し、教えることこそ、現実的な教育につながるのではないでしょうか。いじめに警察を介入させることは、必ずしも教育の放棄だとは思いません。学校で起きたいじめという“犯罪”を学校、教育というオブラートで包んで、責任をあいまいにする行為こそが教育の放棄です。
「いじめ防止対策推進法」は「児童等は、いじめを行ってはならない」といじめを禁じ、いじめた子どもに対して「校長と教員は教育上必要であれば懲戒を加えるものとする」と定めました。いじめが犯罪行為と認められる際は警察と連携し、生命、身体、財産に重大な被害が生じるおそれがある時は直ちに警察に通報すると定めています。
文部科学省は「いじめ問題への的確な対応に向けた警察との連携について」という通知を出し、各都道府県の教育長らに警察との連携強化を求めています。自治体も条例を相次いで制定。人権擁護の観点から全国の法務局も専用の相談電話「子どもの人権110番」を設置しています。
知人の教員が勤める公立学校は、数年前から、深刻なケースは警察に通報するようになったそうです。特に加害者の子どもは、自分の行為は社会の中では許されないことだと肌で実感するのではないでしょうか。何よりも、犯罪行為や人権侵害にさらされている子どもがいたら、一刻も早く救い出さなければなりません。被害生徒が命を絶ってしまった後では遅い。被害生徒、加害生徒の人生が狂ってしまった後では遅いのです。
だめなら学校に見切りをつければいい
ただ、学校現場では簡単に警察に連絡できる雰囲気はなかなか広がらないのが実情ではないでしょうか。
「警察に通報する前にあきらめずに育てたい」 「生徒の保護者の事情なども背景にあり、簡単に警察に連絡できない」
現場の教師からはこんな声が出ています。
教育とは何かという葛藤。いじめ問題の背景は複雑でしょう。教員、学校の負担も並大抵ではありません。学校だけで、教職員だけでいじめ問題を解決するのはもはや難しいかもしれない。学校は、スクールカウンセラーや、ソーシャルワーカーと連携し始めています。
さらに、専門家、地域の民生委員、行政の無料相談など学校外部の協力も欠かせないのではないでしょうか。特に、警察や法務局に頼る意識を少しずつ社会が受け入れるようになってくれればいいと私は考えます。学校や警察が動いてくれなければ、裁判に持ち込むという手段もありますが、その前に当事者同士が話し合いで解決する「メディエーション」という手法も参考になります。
何よりも、子ども本人と保護者が覚悟を持って、理不尽な行為に立ち向かう意識が必要です。どうしてもだめなら、そんな学校に見切りをつければいい。
選択肢はあります。転校、フリースクール。高校なら通信制もあるし、高校を卒業しなくても大学受験できる高等学校卒業程度認定試験(旧大検)があります。コロナ禍で学んだのは、学校に行かなくてもオンラインで授業が受けられるということです。コロナ禍が収まった後も、希望する児童、生徒はオンライン授業で対応することにすれば、救われる子どもがいるかもしれません。また、小中高校を大学のように単位制にすれば、子どもたちの人間関係の選択も柔軟になるかもしれません。
硬直化し、肥大化した学校の形が良い意味で壊れ、選択肢が広がればいいと思います。
岡田 豊 ジャーナリスト
<このニュースへのネットの反応>
「学校は聖域ではない」には全面同意。ただし転校は【転校生=仲間/後ろ盾なし=狙われやすい】及び【被害者が逃げても、加害者は次の獲物を探すだけで解決にならない】で最適解に程遠く賛同できない。まずは旭川のように「学校では責任を負えない」で放置する最悪の対応を処罰すべき
いじめ加害者の親が「学校が悪い」っていう限りは無理じゃないですかね。
ん?社会のいじめは放置しているのに?
大人になったときにも、自力で対処法にたどり着けるように法的対処法を子供のうちに学校教育に込みこんでおこうよ。道徳とかあいまいなもので教育した気になってないで。ゴミなんて生まれ続けるし、ゴミがまたゴミを生むんだからキリがない
元凶と銘打つなら、言葉がどうとかよりも「加害者側が性根の腐った屑だから」とはっきり言うべきだと思いますが? それを、やれ表現のせいとか周りの環境が悪いとか言って虐める本人の性根から目を逸らし続けるから、加害者共が調子に乗るんだと思いますがね。
少年法無くして暴行罪とかに問えるようにすりゃいいだけ
少年法の撤廃と実名報道を可能にしたらいい。後は単純に被害者が被害者たる証拠がある中で苛めの仕返しで過剰防衛などに問わず合法化するとか?まあ、苛めをする奴なんてのは大抵嗅覚が良いから仕返しをするって奴には手を出さないけどね。ネクラ、陰キャでも仕返しをするような奴には手を出さない
いや、「イジメはある物」として対処しなきゃ駄目よ。だから今の「イジメが発覚したらマイナス査定」って状態から改善せんとあかん。現状のままだと「教師はイジメられている側より、イジメる側に加担した方が(個人的には)結果が良くなる」場面が多々有りそうなのでね…。
まず「いじめ」という言葉を無くした方がいい 「名誉毀損」「暴行」「傷害」「強要」「恐喝」「自殺教唆」など案件によって様々な罪に問われるものが 「いじめ」として扱われているから 軽く見られている側面もある