「賃上げの予定なし」7割の衝撃 中小企業で働く人は「安月給」のままなのか | ニコニコニュース
ユニクロの「年収4割増」が大きなニュースになっている。ネットやSNSでも「これをきっかけに賃上げのムードが高まるか」なんて議論が盛り上がっているが、残念ながらユニクロ社員がどれほど高給取りになろうとも、日本の賃金はそれほど変わらない。
このニュースの陰でひっそりと報じられた、衝撃的なニュースを見ればそれは明らかである。それは、城南信用金庫(東京都品川区)と東京新聞が、中小企業738社を対象に1月10~13日に実施したアンケートだ。それによれば、なんと7割以上が「賃上げの予定なし」と回答したという。
マスコミはユニクロの年収アップを「衝撃」なんて大騒ぎをするが、日本の賃金においては大した話ではなく、実はこちらのニュースのほうがよほど「衝撃」なのだ。
日本企業の中で、ユニクロのような大企業はわずか0.3%に過ぎず、99.7%は中小企業で、日本人の7割が働いているとされる。つまり、ユニクロが年収を4割増やそうが、トヨタが賃金を爆上げしようが、それは日本企業のわずか0.3%の世界の話であり、日本人の3割にしか恩恵のない話なので、中小企業で働く人たちは「安月給」のままなのだ。
……という話をすると決まって、「小さな会社は大企業に搾取されているのでまずはこの構造にメスを入れなくては」みたいなことを言い出す人が出てくるが、残念ながらそれはTBS日曜劇場の見過ぎだ。
『「中小企業は大企業に搾取されている」という説は、本当か』の中でも詳しく解説したが、中小企業全体で「大企業の下請け」はわずか5%程度に過ぎない。「大企業が札束で頬を叩いて、町工場の優れた技術を盗む」という定番ストーリーでお馴染みの「製造業」で限ってみても17.4%しかないのだ。
もちろん、広い世の中だ。社員の給料を上げようとすると、どこからともなく大企業がやって来て、利益をかっさらわれるという気の毒な中小企業もあるかもしれない。しかし、それはあくまでその会社特有の問題であって、中小企業全体の問題ではない。
つまり、「中小企業が賃上げできないのは大企業からの搾取のせい」というのは、「大企業に搾取される下請け企業」にフォーカスを当てた偏向報道や、ドラマや小説のイメージに引っ張られた「思い込み」なのだ。
●「失業者が街にあふれる」説は本当か
実はそういうマンガちっくな方法ではなく、中小企業を賃上げさせるための現実的な方法がある。それは海外では当たり前に行われていて、その効果も100%という施策なのだが、日本国内では「オトナの事情」から「禁じ手」とされている。
ここまで言えば、勘のいい方はお気付きだろう。そう、「最低賃金の引き上げ」である。
最低賃金というボトムラインをすべての業種で一律に引き上げると、最低賃金は労働者を使っている事業者はもちろんそうではない事業者も、「すみません、政府が最低賃金引き上げろって言うんで、価格に転嫁しますね」という言い訳が成り立つ。これが賃上げの好循環をつくりだすのだ。「そういうことは企業の自主性に任せるべきだ」とか言う人もいるが、その結果が今の日本だ。
賃上げを企業側の自主性に任せると、「安売り=企業努力」に取り憑(つ)かれている経営者はいつまでたっても賃上げをしないので、がんばって賃上げをした企業のほうが価格競争に敗れてバカを見てしまう。労働者を低賃金でこき使って安売りをするほうにインセンティブがつく「安さの無限地獄」に陥るのだ。
このような悪循環を断ち切るには、日本式を捨てて諸外国のように一律で最低賃金を引き上げていくしかない。さらにもっと言えば、地域格差をなくすためにも、全国一律、同一労働同一賃金が望ましい。
このような話をすると、日本商工会議所方面から、「こんな厳しい経営環境の中で、最低賃金の引き上げなどしたら中小企業がバタバタ倒産して、失業者が街にあふれて経済は崩壊だ!」みたいな絶叫が聞こえてきそうだが、動かし難い事実がある。日本以外の国では、物価上昇に合わせて中央政府が大胆な最低賃金の引き上げに踏み切っているが、そこで失業者がどうしたこうしたという話にはなっていない。
分かりやすいのは米国だ。労働政策研究のレポート「国別労働トピック」(2023年1月)にはこうある。
『全米50州のうち23州が、2022年12月から2023年1月にかけて最低賃金を引き上げた。このうち13州が物価と連動して引き上げ額を算出する方式で改定。ワシントン州やコロラド州などでは、物価上昇と同率の8.6~8.7%のアップとなった』
●奇妙な日本式ロジック
このように物価上昇に合わせて最低賃金を引き上げていくシステムが続々と導入されているのは、なにも先進国に限った話ではない。
例えば、トルコだ。ジェトロ(日本貿易振興機構)のビジネス短信によれば、トルコの物価上昇は、22年11月時点で消費者物価指数(CPI)上昇率が前年同月比84.4%。国内生産者物価指数(D-PPI)上昇率はなんと136.0%と高騰している。そこでトルコ政府はどうしたかというと、最低賃金を引き上げている。
これまでも21年12月に前年比50.5%増、22年6月に同年上半期比29.3%増と継続して引き上げているところに加えて、23年1月さらに引き上げる、と労働社会保障省が発表している。22年12月までの最低賃金と比べて54.7%増だ。
世界はこのように政府が段階的に最低賃金を引き上げていく。国民の生活状況や購買力低下などを鑑みて、1年の中で2~3回と引き上げていくことも珍しくない。
しかし、ご存じのように、日本では最低賃金の引き上げを主張すると、「小泉・竹中路線の新自由主義者め!」とか「弱者切り捨てか」などと、特に保守層から猛烈なバッシングにあう。物価上昇の中で常軌を逸した低賃金で働かされている労働者のほうがよほど「弱者」だと思うのだが、そういう話はこの手の人たちにはあまり通じない。
「労働者を雇ってあげている中小企業をいじめることは、まわりまわって労働者をいじめていることになる。だから、最低賃金はなるべく引き上げないことが、労働者のためになるのだ」という奇妙な日本式ロジックがまかり通っているのだ。
このロジックの根拠となっているのは、「最低賃金の引き上げなんて格差を生む愚かなことはやめて、日本政府がお札をじゃんじゃん刷って、金利をゼロにして、中小企業に補助金をバラまけばすべて解決だ」という世界的に見ると、かなりユニークな経済観だ。
中小企業の多くは、立派な技術やサービスもあるが財政的に弱いので、原材料などが高騰しても売上減少を恐れて、価格への転嫁ができないので、賃金も据え置きにするしかない。だったら、弱い財政を税金で下支えしてやれば少し余裕ができるわけだから、価格への転嫁もできて賃上げにも踏み切れるのではないか――というわけだ。
●賃金はピクリとも上向かない
ただ、これが「妄想」に過ぎなかったことは、個人経営の飲食店などに大量にバラ撒(ま)かれた「コロナ補助金」の結果が雄弁に語っている。
コロナ禍で、飲食店の多くは休業や時短営業へと追い込まれ、経営が急速に悪化した。そうなると、それらの店で時給で働いている人々は、収入を絶たれるわけなので命の危険もあるということで、店を閉めている間にも、従業員が生きれるように「休業補償」を払うようにと政府は大規模のバラマキを行った。
しかし、残念ながらその金が労働者に届くことはなかった。
20年10月、野村総合研究所が、コロナで休業を経験した労働者がどれほど休業手当を受け取っていたのかを調べた。正社員は62.8%、契約・派遣社員は49.6%と5割から6割はどうにか休業手当が受け取れているのに対して、パートやアルバイトで働く女性ではわずか30.9%にとどまっている。
これは、中小企業の中には、政府から補助金をもらったところで、現場の労働者に還元しない事業者もかなり存在している――という実態を浮かび上がらせている。
それどころか「時短なんで今月はシフト減らしてくれる」「ごめん、今厳しいから辞めてもらっていいかな」なんて言って、協力金などをもらいつつも、パートやアルバイトを「雇用の調整弁」にしているようなところもあるのだ。
こういうシビアな現実がある中で、例えば、中小企業に「賃上げ協力金」のようなものをバラまいて効果が望めるだろうか。
その多くは間違いなく「運転資金」に使われる。中小企業経営者からすれば「この厳しい時代に雇ってあげているだけでもありがたく思え」という考えがあるので、会社の経営を安定させることに使われる。これからもっと日本経済が悪化したときに備えて、大企業でいうところの「内部留保」にされてしまうのだ。
●「最低賃金」は話題にならない
コロナ禍の中で全国民に一律10万円の特別定額給付金があったが、あれが消費の活性化につながることはなく、ほとんどは先行きへの不安から「貯蓄」に回されてしまった。これとまったく同じことが、中小企業でも起きることは間違いない。
つまり、「中小企業の賃上げのために、岸田内閣は異次元のバラマキをやります」と叫んだところで、その税金のほとんどは、中小企業経営者のポケットマネーや、妻や子どもの名を連ねる役員の報酬へと消えるだけで、労働者の賃金には転嫁されないのだ。
……という話をしても残念ながら、これからの日本では「バラマキ政治」が加速していく。自民党は選挙で世話になる日本商工会議所の手前、「最低賃金の引き上げ」という政策を諸外国のように進められない。
そうなると残された道は、従来通り最低賃金を年1ペースで20~30円と引き上げながら、「中小企業経営者の皆さん、なんとか賃上げしてちょうだい!」と叫びながら税金をバラ撒いていくしかない。「構造的賃上げ」なんて感じで目新しいキャッチコピーはつくが、内容はこの数十年間やってきたことの繰り返しなので当然、なにも変わらない。
そこに加えて最近、「異次元の少子化対策」とやらが唱えられている。少子化対策は50年以上やってきたが、ほとんど効果がなかったので、残るは大規模なバラマキしかない。
なぜ中小企業の賃金が上がらないのかというと、本質的なところでは「現状維持型」の企業が多いからだ。統計を見てもほとんどの中小企業は成長しないで、何年も規模が変わらない。同じ社員数、同じ賃金で、同じ取引先からの仕事を請け負ってコストカットしながらどうにか企業存続のための費用を捻出しているような会社が大多数なのだ。
●「現状維持型企業」が消えない
まともな資本主義の国では、このような「現状維持型企業」は、政府が進める最低賃金の引き上げに耐えられず、自然と市場から消えていく。そこで働いている労働者も一時的には失業するが、再就職先は間違いなく前の職場よりも高賃金になるので生活水準は向上する。だから、消費も冷え込まない。しかし、日本の場合、現状維持型企業が消えることなく、何十年も存続している。事実、日本は欧米などと比べて異常なほど中小企業の廃業率が少ない。
これはなぜかというと半世紀前から「中小企業が元気だと日本経済は元気!」という精神論が唱えられ始めて、国をあげて中小企業の倒産を防ぐような政策が進められてきたからだ。「最低賃金を引き上げない」というのも、その一つである。
そこに加えて、自民党が現状維持型企業を保護していることもある。国家にバラマキや優遇措置を求める現状維持型企業は、自民党にとって「大票田」だ。そう簡単に消えてもらっては困る。
いずれにせよ、このような政治の思惑もあって日本は「成長しない中小企業」大国になった。これは経営者と役員報酬をもらう家族にとっては最高の国だが、日本人の7割にとっては絶望なことこの上ない。
ザボっているとかではなく、現実的に無理なのだ。もともと自分と家族が食べていくための現状維持型ビジネスをやってきたなので、賃上げする余裕もない。また、労働者を安い賃金で働かせることが「企業努力」という考えなので、今さら急に「成長して賃上げを」と言われても何をしたらいいか分からないのだ。
だからこそ、「最低賃金の引き上げ」を進めていく必要がある。
賃金をボトムアップしていけば、「従業員が普通に暮らしてく給料すら払えない中小企業経営者」に「引退」を決断させて、入れ替わるように新しい経営者が増えていく。その中には当然、より高い賃金を払える経営者もいるはずだ。
これは「弱者切り捨て」うんぬんという話ではなく、どの国でも当たり前に行われている「産業の新陳代謝」なのだ。
そんな最後の切り札ともいうべき「最低賃金の引き上げ」が日本では恐ろしいほど話題に上らない。マスコミもユニクロの年収がどうしたとか大騒ぎだ。いよいよ本格的にこの国はヤバいことになってしまうのではないか。
(窪田順生)