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ジャムおじさん、パン作る理由 少年時代のひもじい経験…あんぱんに救われ決意 やなせたかしの思い描く | ニコニコニュース

 NHKは20日、2025年度前期の連続テレビ小説について、中園ミホ氏が手がける『あんぱん』に決まったと発表した。戦後80年を迎える2025年、第112作目の連続テレビ小説は、アンパンマンを生み出したやなせたかしと小松暢の夫婦をモデルに描く。

【画像】激レア!泣ける…少年時代のジャムおじさんの姿

 あらゆる職業を転々としながら定まらない人生を送っていた、遅咲きの漫画家やなせたかしが70歳にして生きる喜びを書いたアンパンマンのマーチの歌詞を生み出した背景には、戦前・戦中・戦後と激動の時代を、ちょっと気が弱くて自信のないたかしと共に生き、けん引し続けた「ハチキンおのぶ」の存在があった。

 生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった2人の人生。何者でもなかった2人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現したアンパンマンにたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語を届ける。

 実在の人物である、小松暢(1918~93)とやなせたかし(19192013)をモデルとするが、激動の時代を生きた波乱万丈の物語として大胆に再構成し、登場人物名や団体名などは一部改称して、フィクションとして描く。原作はなく、ヒロイン・のぶ役はオーディションで決定する。

 『アンパンマン』と言えば今月6日に日本テレビで、1988年10月3日の放送スタートから35周年を迎えたことを記念して特別エピソードジャムおじさんアンパンマン」が放送された。

 特別エピソードは、物語の根幹に関わる「そもそもジャムおじさんは、なぜパンを作っているのか?」ということに切り込み、バタコさんも知らない「ジャムおじさん少年時代」を描いた。「なんのために生まれて、なにをして生きるのか?」ジャムおじさんアンパンマンの想いが凝縮された心あたたまる特別な物語となった。

 なぜ、おいしいパンを作り続けるのか? なぜ、パン作りをすることになったのか? メロンパンナちゃんたちに問われると、ジャムおじさんは「クリームパンダちゃんくらいの小さなころ、遠くの街まで出かけたんだけど、お弁当を忘れてしまってねぇ…」と回想がスタート

 「何も食べられないまま家に帰ることにしたんだ。でも、歩いても歩いても、なかなか着かない。お腹はペコペコで力もでない」とし、丘の上から見下ろす街の光を見て「あの、温かな灯りの下では、みんな晩御飯を食べているんだろうなぁ。でも、誰も僕には気づいてくれない…なんて思うと、余計にお腹が空いて、ひもじい思いがしてきてねぇ」と空腹で苦い経験をしたと告白。

 続けて「こぼれた涙を、ぎゅっとにぎったげんこつで拭いた時…」と話し、落ちてきた流れ星を受け止めるとアンパンが現れ、「あの時に食べたあんパンほど、おいしいものを私は知らない。あんこの甘さが口の中に広がって、心にしみた」とアンパンに救われたと打ち明けた。

 そして「思ったんだよ。私も食べた人が喜ぶようなパンを作りたいって。そして、お腹が空いて、ひもじい思いをしている人に食べてもらいたいって」とパン作りを決意したと話した。

 回想シーンが終わり、困っている人を見捨てない、空腹な人を見つけたら自分の顔をあげるアンパンマンと同じ思いに、クリームパンダちゃんが「それって、アンパンマンみたいだね!」と感動し、ジャムおじさんは「お腹が空いてひもじい思いをしている人においしくパンを食べてもらうことが、一番うれしいんだ」と説明。

 また、アンパンマンが空腹で動けない“ポエムさん”と出会うシーンでは、ポエムさんが「君は何の為に生まれたの? 何が君の幸せ? 何をしたら喜ぶ?」と問うと、アンパンマンは「僕はお腹が空いて、困っている人を助けるために生まれてきました。だから、ひもじい人に食べてもらうことが一番うれしいのです!」と伝えた。

 これを聞いて、ポエムさんは「でも、そのせいで顔は欠けてしまうし、飛ぶ時はフラフラ…はっきり言ってカッコ悪い。それでいいの? このまま顔をあげ続けて君がいなくなっても?」と質問を続けると、アンパンマンは「はい! 僕はパンだから食べられるのが幸せなんです!」と笑顔で即答した。

 ジャムおじさん少年時代の物語にネット上では「ジャムおじさん、こんな時代があったとは…」「まじで泣けた! 今日の昼食はあんぱんだ!」「もう無理。号泣です! ジャムおじさん、優し過ぎるだろ!」「ジャムおじさんアンパンマンの思いが一緒で感動した! ジャムおじさん大好き!」などと涙と感動の声であふれていた。

■中園ミホ氏コメント
「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」こと、小松 暢さんをモデルにした朝田のぶがこのドラマヒロインです。ハチキンとは、土佐弁男勝りの女性のこと。県大会で優勝するほど脚が速く、行動力とスピード感にあふれ、人生の荒波をパワフルに乗り越えていくヒロインです。彼女は、あの『アンパンマン』に登場する『ドキンちゃん』のモデルといわれています。いつも好奇心に目を輝かせ、「おなかがすいた~!」というのが口ぐせのチャーミングな妖精です。

そして、暢さんが生涯のパートナーとして選んだ男性は、漫画家で詩人の柳瀬嵩さん。彼ははっきり言って遅咲きの人です。日本中の子どもたちの間でアンパンマンが大人気となり、漫画家として世間に認められたのは、なんと70歳になってからでした。幼い時に父を病気で亡くしたやなせさんは、高知県の後免町にある伯父の家に引き取られ、やがて戦争が始まり、出兵します。

終戦後の混乱期、2人は高知新聞社の編集部で記者として働いていましたが、暢さんは「私、先に東京へ行ってるから」と言い残し、さっさと新聞社を辞めていなくなります。彼女を追いかけるようにやなせさんも上京し、漫画家となるきっかけをつかむのです。こうして、暢さんは持ち前の行動力と飽くなき好奇心で、さまざまな職場を渡り歩き、手塚治虫赤塚不二夫いずみたく、向田邦子、青島幸男……などなど、才能豊かで個性的な人たちと出逢い、関わり合いながら、ちょっと気が弱くて自信のないやなせさんを励まし続けます。

やなせさんの才能がいつか必ず開花することを信じていたパートナーの存在がなかったら、アンパンマンがこの世に誕生することもなかったかもしれません。「正義は逆転することがある。信じがたいことだが。じゃあ、逆転しない正義とは何か?飢えて死にそうな人がいれば、一切れのパンをあげることだ」。これはアンパンマンの神髄であり、2人が逆境や失敗をいくつも乗り越えて、つかんだ人生のテーマです。

2人が最も輝いていたはずの青春期、戦争が始まりました。やなせさんはたった一人の弟(千尋さん)を戦争で亡くしました。戦場にも日本中にも飢えて死にそうな人があふれていました。だからこそ、晩年になってアンパンマンを書かずにいられなかったのだと思います。おなかをすかせて弱っている人に自分の頭をかじらせて元気にするヒーローです。初めは「自分の頭を食べさせるなんてグロテスク」とか「太っていてカッコわるい」と、まるで人気がなかったアンパンマンですが、たった一人、暢さんだけは応援し続けたのです。

最後に、とても個人的な打ち明け話をします。アンパンマンが誕生するずっと前、小学生の私は、やなせさんと文通をしていました。『愛する歌』という詩集に感動して手紙を送ったところ、すぐにお返事をくださったのです。何度かお目にかかったこともあります。やなせさんはいつもやさしい笑顔を浮かべ、「元気ですか?おなかはすいていませんか?」と声をかけてくれました。戦後80年、放送開始から100年目にあたる2025年連続テレビ小説で、のぶと嵩のお話を書かせていただけることに、今、私は幼いころのように胸を高鳴らせています。ドキンドキンと。

ジャムおじさん

(出典 news.nicovideo.jp)

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