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「受験は人を成長させる」と信じていたが… 自閉症児の母が育児で得た“気付き”

 ライターイラストレーターとして活動するべっこうあめアマミさんは、知的障害を伴う自閉症がある9歳の息子と、きょうだい児(障害や病気を持つ兄弟姉妹がいる子ども)の5歳の娘を育てながら、発達障害や障害児育児に関する記事を執筆しています。

 1月13日から「大学入学共通テスト」が始まり、本格的な受験シーズンを迎えます。受験生の皆さんは、志望校合格に向けて最後のスパートをかけていることでしょう。そうした中、アマミさんは「私は息子にもし障害がなかったら、教育ママになっていたかもしれない」と語ります。今回は、アマミさんの受験にまつわるお話について、紹介します。

習い事や受験に費やした子ども時代

 私は、特別裕福でもないごく一般的な家庭で育ちましたが、教育にはとてもお金をかけてもらったと思います。

 幼稚園時代からスイミングスクールなどに通ったほか、小学生になると地域の合唱団やピアノ、習字教室に通い、通信教育も受けさせてもらいました。小学5年生になると、受験に強いと評判の進学塾に通い始め、週に何日も塾通いをする日々。長期休みは夏期講習や冬期講習などで埋まりました。

 そして、小学6年生のときに中学受験。結果は見事、第一志望校に合格し、地元の公立中学校とは別の中学校に通うことになりました。

 それから先は、レールに乗ったかのように受験のことばかりを考える生活だったように思います。エスカレーター式の学校ではなかったため、高校受験も大学受験もしました。受験に失敗もしましたが、小学5年生から高校3年生までの8年間の、勉強にまい進した生活は、私の青春そのものだったのです。

自分の達成感を息子にも体験させたかった

 かつての私の価値観は、受験勉強に追われた青春時代に形づくられたといっても過言ではありません。このように書くと、楽しめなくて気の毒に思われるかもしれませんが、それなりに遊んだり趣味を満喫したりもしていました。

 しかし、そういった遊びや趣味を満喫できたのは、受験して入った学校で気の合う友人にたくさん恵まれたからです。

 頑張って受験して入ったからこそあった、たくさんの大切な出会いがありましたから、私は受験に対してネガティブイメージはありません。

 それに、中学から受験しようと思ったのは私の意思ですし、受験勉強や塾での学びも含めて、受験してよかったと心から思えます。勉強は大変だったけれど、それを乗り越えた先の達成感はたまらなかったですし、子ども心に「受験は人を成長させる」と思っていました。

 だからこそ、私は子どもが生まれたら、両親が私にしてくれたように、わが子にもたくさん習い事をさせて、塾に行かせて受験もさせてといった形で、目いっぱいの教育を受けさせてあげたいと思っていました。

 このような心境で身ごもった、私の第一子である息子は、おなかにいるときから大き過ぎる期待をかけられていたかもしれません。息子に何もなければ、私はいわゆる「教育ママ」になっていたでしょう。

「教育ママ」ではなく「療育ママ」へ

 ところが、生まれた息子は障害児でした。それも、重度知的障害児です。息子の障害はすぐには分からなかったので、赤ちゃんの頃はまだ障害など思いもしませんでしたが、「1歳を過ぎ、2歳を過ぎ…」と年齢を重ねていくうちに、だんだん発達の遅れが目立っていったのです。

 私は、息子の発達に遅れが見られるようになった1歳過ぎの頃から、保健センターの発達相談や大きな病院の診療のほか、障害のある子の発達を支援する施設である「療育」、言語によるコミュニケーションに課題を抱えた子を支援する「ことばの教室」、幼稚園のプレ保育など、ありとあらゆる場所に息子を連れていきました。

 特に療育はいくつも掛け持ちし、何とか息子の発達を促そうと頑張りました。皮肉にも、私は「教育ママ」ではなく「療育ママ」になったのです。

 何か人より飛び抜けた能力を身に付けさせたいとか、高い学歴をつけたいとか、そういうことは望みません。ただ「普通」に追いつきたい、自立した人間になってほしいと、息子の今後の生きやすさを願ってのことでした。

 そして息子が4歳になり、正式に知的障害を伴う自閉症の診断がついた頃には、もう習い事や塾など考えもしなくなっていました。

 これまで自分が想像もしなかったことでつまずき、困り事を抱えている息子。自分が生きていた道とは全く違う道を歩んでいく息子。当初は理想と現実のギャップに落ち込むこともありましたが、時がたつとともに、考え方もどんどん変わっていきました。息子が私の価値観をガラリと変えてくれたのです。

親が子どもから強い影響を受けるケース

 息子は今、特別支援学校に通いながら、ゆっくりですができることを増やし、自立に向けて一歩一歩進んでいます。今はそんな息子の小さな成長がうれしい毎日です。

 息子の存在で、私の育児に対する考え方や価値観などは大きく変わりました。子どもが親から受ける影響は強いとよく聞きますが、親が子どもから受ける影響も相当強いなと思っています。

 きっと私と息子の関係性のように、親子とは、互いに強い影響を受け合うものなのでしょう。

 息子が生まれて4年後、第二子である娘が生まれましたが、私の考え方や価値観もずいぶん軟化し、娘の育児は息子のときよりずっと肩の力を抜いて始められた気がします。今では、「本人が生きづらくなるような障害は絶対にない方がいい。でも、それ以外のことであれば、健康で楽しく人生を過ごせれば、細かいことはあまり気にしない」と思うようになりました。

 誰でも第一子は子育てに気負い過ぎて、自分のこれまでの人生経験や価値観を押し込めたくなってしまうのかもしれません。しかし、子どもの人生は自分の人生とは別物です。

 親は、子どもが楽しく人生を過ごしていけるための手助けをするくらいの気持ちでいた方が、いいあんばいになるのかもしれません。

ライターイラストレーター べっこうあめアマミ

息子に障害がなければ、受験や習い事などをさせていたかもしれないと考える母(べっこうあめアマミさん作)

(出典 news.nicovideo.jp)

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