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残業代なしの公立教師制度に悲鳴!なぜ誰も先生になろうとしないのか?

だから誰も学校の先生になりたがらない…どれだけ働いても残業代が一切出ない公立教師というブラック職場 | ニコニコニュース

教員の人手不足や長時間勤務が問題になっている。6月26日、こうした問題を議論する中央教育審議会「質の高い教師の確保」特別部会が開始した。現役の高校教師である西村祐二さんは「理由のひとつに、公立教員のみに適用される『給特法』がある。この法によれば、どれだけ残業しても残業代は支払われないことになっている。これを改善しない限り、教員の労働環境は改善されない」という――。

※本稿は、西村祐二『シン・学校改革』(光文社)の一部を再編集したものです。

■教師の残業は「自発的」とされている

実は部活動顧問を含め、教師には残業命令が出せない仕組みになっています。これは、公立教員のみに適用される「給特法」という法律に関わる話ですが、この法律には、「原則として教師には残業を命じてはならない」旨が記されているのです。

命じてはならないのに、なぜ残業が発生しているの?

これに関する司法判断は、「教師が行っている残業は命令に依るものではなく、管理職からの『お願い』を受けて『自発的』に行っている」というものです。

法的にそういう扱いを受けているからといって、管理職から「これはお願いですが、やってくれますか? やってくれませんか?」という打診があるわけではありません。ほとんどの業務は管理職からの命令に見えて、引き受けたら最後、「教師が好きで行った扱い」にされてしまうのです。

何たる闇残業……。この事実を知ったときは、さすがに私も教師を辞めたくなりました。

■半世紀前に施行された法律に書かれていること

改めて、この「給特法」とは一体どういった法律なのでしょうか。

給特法は1971年に制定、翌年(1972年)施行された、正式名称「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」という法律です。これはその名の通り、公立教員のみに適用される「特別措置法」で、私立教員や国立大附属教員には適用されません(ただし国立大附属教員は国立大学が法人化される2004年までは給特法の適用下にありました)。

この法律の要点は、次の通りです。

①公立教員は特殊である。それゆえ……
②公立教員には原則として残業を命じない
③残業命令が可能なのは「生徒実習・学校行事・職員会議・非常災害等」の4つの臨時または緊急時に限られる
④残業代は支払わない
⑤これら「特別措置」の代わりとして月給4%を「教職調整額(残業代ではない)」として支払う

■法的に残業は存在していない

①の「公立教員は特殊」とはどういうことでしょう? これは、「公立教員はほかの労働者と違って、それぞれの判断で自発性・創造性を発揮してこそ、よりよい教育活動ができるというものです。だから管理職からの命令は行わないことにします。それに放課後は割と自由に過ごせるし、夏休みだって十分あるでしょう? あんまり残業だ、残業代だと考えず、それぞれの判断で自由に働いたり、時には好きに残業したりしてください」、こういった考えに基づいているのです。

法律ができた50年前ならいざ知らず、「夏休みがある」「自己の判断で自由に働ける」など、今の学校現場はそんな状況にありません。

また、⑤の「4%」という数字は一体何なのでしょうか? これは、給特法成立のさらに5年前、1966年に教員勤務に関する全国調査を行ったら、平均して月8時間ほどの残業が発生していたことから設定されたものです。当時は今と違い週6日勤務だったのですが、一日にすると約20分の残業。これが「教職調整額4%」の根拠なのです。

こういうふうに説明すると、「なるほど、教師は『固定残業代』として4%分の残業代が前払いされているのだな」、と理解する人がいるかもしれません。確かに、企業の中には固定残業代制度を取っているところがあります。固定残業代(みなし残業代)とは、毎月の残業分を見越して、あらかじめそれに見合った残業代を支給しておくという制度です。

仮に教職調整額も固定残業代だとわかりやすくて、残業が4%分を超えたら追加の残業代を求めることができます。固定残業代とは本来そういう制度なのです(注)

給特法による教職調整額が固定残業代ならば、今の労働実態に合った残業代を追加請求したらよいのです。しかし、4%の教職調整額というのは固定残業代とは違います。なぜなら、給特法の驚きの大前提は、「残業命令は存在しない」。すなわち「残業は(法的には)存在していない」ということだからです。

■給特法の最もえげつない部分

現に残業が発生していたとしても、それは命令を受けて行っているものではなく「自発的勤務」、すなわち「教師が好きで行った扱い」。教職調整額とは、そういった全ての特殊扱いに対して支払われる「手当のようなもの」であり、どこまで行っても残業代ではなく、残業時間がどれだけ増えても追加の補償も何もなされないのです。

これゆえ給特法は近年、「4%定額働かせ放題」と呼ばれています。しばしば「やりがい搾取」とも呼ばれる始末です。

残業は労働ではなく、自発的勤務。これが他職や私立教員、国立大附属教員には見られない給特法による「ブラック残業」であり、この法律の最もえげつない部分です。「残業していても、それは残業(労働)とは認めません」、これを法律が支持してしまっているのです。

この扱いは、全ての職業の中で公立教員だけに存在する「特殊」な……その実「異常」な扱いと言っても過言でありません。

■「勤務」ではあるが「労働」ではない

なお「自発的勤務」という言葉は、2019年の中央教育審議会答申で示された造語です。給特法の下で行う公立教員の残業について、国の審議会は改めて次のように定義したのです。

「自発的勤務」は、管理職からの超過勤務命令の下で行っているものではないものの、そのほとんどが、教師が自らの校務分掌等を踏まえて実施しているものであり、それぞれの教師としては業務としてやらなくてはならないものとの意識から行っていることが実態となっている。

(中央教育審議会「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」2019年1月25日、44頁)

やらなくてはならないものではあるが、管理職からの命令はない。「勤務」ではあるが「労働」ではない。学校のためにと残業する働き手のプライドをズタズタにする、非情な扱いだと感じます。

2022年度に行われた国の調査によると、教諭の1カ月平均残業時間は持ち帰り仕事を含めずに小学校64時間48分、中学校83時間44分、高校64時間52分。教職調整額4%の根拠となった1966年の調査と比べると、残業時間はざっと8〜10倍です。

(注)固定残業代制度を取っている会社でも、「超過分」の残業代を支払わないケースがあり、そういった会社は「ブラック企業」として問題となっています。

■使用者側に有利

こんなにも膨大な残業が発生しているにもかかわらず、それが「自発的勤務(教師が好きで行った扱い)」とみなされる問題について考えます。

公立教員の残業が「自発的勤務」とされることの問題は、大きく4点挙げられます。

第1に、自発的勤務は「好きで行った扱い」であるので、どれだけ膨大な残業を行っても、残業代は0円です。4%の教職調整額が残業代でないことは前述の通りです。

第2に、残業の責任者が不明確なことです。残業が「自発的勤務」である限り、突き詰めて考えれば、残業の責任は働いた教師本人に帰せられてしまうでしょう。

それに付随することですが、第3は、司法に訴えても勝てないことです。

無賃の長時間勤務に耐えられなくなり、えいやと裁判を起こしても、「給特法があるから残業代の支払いはありません」「管理職からの残業命令はなく、あなたが好きで行ったものです」と判断されています。

給特法は法廷では使用者側(校長および教育委員会)を守る「無敵の盾」となっているのが現状です。

■過労死しても自己責任

第4に、最悪の場合、過労から死に至ったとしても、それすらも自己責任にされてきた歴史があるということです。

教師の過労死遺族に、工藤祥子さんという方がおられます。祥子さんは2007年6月25日中学校教師だった夫の義男さんを亡くされました。義男さんが倒れたのは、3日間の修学旅行から帰ってきた直後のことでした。修学旅行中、一日19時間勤務の日もあったほどだといいます。

義男さんの死後、同僚の勧めもあり、祥子さんは「夫の死は過労が原因であった」として公務災害を申請しました。しかし2年後に出された結論は、「不認定」。その後、祥子さんは裁判でいうところの二審に当たる「審査請求」を行います。

より細かくパソコンログイン・ログオフの記録などから夫の実労働時間を割り出し、1カ月の残業時間が最大208時間あったと申請しました。その結果、義男さんの死から実に5年半がかかってようやく過労死であることが認められましたが、認定された残業時間はわずかに97時間。111時間分は証拠不十分か、「それは好きで働いたことです」と扱われてしまったのです(注)

さて、これら4つは自発的勤務の扱いが教師の健康や尊厳を傷つけてきたという例です。それとともに、教師だけでなく子どもや社会全体に関わる大きな問題として、自発的勤務の扱いのままだと「教師の長時間勤務が改善しない」「人手が増やされない」ということがあります。

「残業代の支払い義務がない」「責任丸投げで業務を押し付けることができる」となると、使用者側に残業を減らさなくてはという意識が働きません。また、わざわざ追加の予算を割いて人手を確保する必要もありません。今いる人員が倒れるギリギリまで、教師を使い倒すことが可能なのです。

この法律のままで、果たして「教員不足」が解消されるのか……。

国は6月26日に、中央教育審議会で給特法の見直しを含めた「質の高い教師の確保」に関する議論を開始しました。「誰も先生になりたがらない」ような状況を改善するために、給特法の廃止を含めた抜本的な見直しが期待されます。

(注)「過労死過労死と認められない問題」については、解決に向けた進展も見られます。工藤祥子さんが公務災害担当を務めた全国過労死を考える家族の会などの粘り強い活動の結果、近年学校にもようやくタイムカードが入るようになり、自発的な残業を含めた「在校等時間」の管理・監督が管理職の責任と明記されるなど、改善が見られるようになってきました。
例えば、2021年文部科学省が示した学校勤務に関する「Q&A」には、次のようにあります。「給特法の仕組みにより、所定の勤務時間外に行われる『超勤4項目』以外の業務は教師が自らの判断で自発的に業務を行っているものと整理されますが、学校の管理運営一切の責任を有する校長や教育委員会は、教職員の健康を管理し働き過ぎを防ぐ責任があり、こうした業務を行う時間を含めて管理を行うことが求められる」(文部科学省「公立学校の教育職員の業務量の適切な管理その他教育職員の服務を監督する教育委員会が教育職員の健康及び福祉の確保を図るために講ずべき措置に関する指針に係るQ&A2021年6月改訂版、5頁)

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西村 祐二(にしむら・ゆうじ)
岐阜県高等学校教諭
1979年兵庫県西宮市生まれ。2002年関西学院大学卒業後、小劇場や自主映画の世界で活動。30歳で岐阜大学大学院に進学し、32歳で岐阜県高等学校地歴科教諭(現職)。勤務の傍ら、'16年8月より「斉藤ひでみ」名義で教師の労働問題や生徒の校則問題について発信を始め、文部科学省への署名提出、参議院文教科学委員会での参考人陳述等を行った。共編著に『教師のブラック残業』(学陽書房)、『校則改革』(東洋館出版社)、共著に『迷走する教員の働き方改革』『#教師のバトン とはなんだったのか』(岩波ブックレット)、『先生がいなくなる』(PHP新書)。ドキュメンタリー番組「聖職のゆくえ」(福井テレビ)に出演。'23年現在、高校勤務を続けながら名古屋大学大学院(博士後期課程)に学ぶ。Twitter:@kimamanigo0815

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/xavierarnau

(出典 news.nicovideo.jp)

ASFASFASFA

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業務と関係ないパヨ活減らせば?

ゲスト

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この考え方こそが国の考え方であり、日本の全ての経営層の考え方であると思って間違いないね。今岸田がやろうとしている少子化対策等も基本的にこういう考え方に基づいてやってるはず。そして、お前らが文句を言わないことも承知の上なんだよ。

taira

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沈黙は肯定。なぜ唯々諾々と従っちゃうかな、卒業式で国歌は歌わないくせに部活には参加するというダブルスタンダード。

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