ピックアップ記事
働く母親たちの本音を代弁した「保育園落ちた」がツイッターで「大炎上」してから「6年」...変わったものは?
「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ? 何が少子化だよクソ」

2016年2月、ツイッター上で大炎上し、国会を揺るがす問題になった「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログ。子育てと仕事を両立できない現実を、赤裸々につきつけた匿名の文章が私たちの生活にもたらした変化とは? 『AERA』元編集長で、ジャーナリストの浜田敬子氏の新刊『男性中心企業の終焉』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

「#日本死ね」と長時間労働規制

2015年には女性活躍推進法が成立、企業には女性管理職推進目標の策定や公表が義務付けられるようになった。だが本当に女性が働くための、働き続けるための最低限の条件である環境の整備は整っていたとは言えない。その一つが保育園の整備だった。

2016年2月、1本のブログツイッター上で大炎上し、国会を揺るがす問題になった。

「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ? 何が少子化だよクソ」

その後、「#保育園落ちた日本死ね」というハッシュタグと共に拡散され、育休から復職する際に保育園に入れない、そのために育休を延長したり、深刻なケースでは退職せざるを得ないといった待機児童が社会問題化した。

女性に「働いて」と言いながら、その基盤となる保育園が足りないという事態は、それ以前から働く女性の間では“常識”で、AERAでは何度も「保活を勝ち抜く」方法の特集をしてきたが、そんな基本的な問題が認識されないまま「輝け」と言われていたのだった。

さらに、これも2000年代から働く女性の問題を取材していれば、なぜ女性が働きづらく、産みにくいのかの根っこには、残業し放題の男性の働き方が一向に変わらないという問題があることはわかっていたし、記事を通して繰り返しこの問題を発信してきた。だが、なかなかその本丸の問題には手がつけられなかった。

明らかに空気が変わったのは2015年、電通で働いていた女性社員が過労自殺するという痛ましい事件があってからだ。過重労働に対する批判が噴出し、経済界寄りと言われた安倍政権も動かざるを得なくなった。

安倍政権では、専門能力を持つ人材に対しては「高度プロフェッショナル制度」の導入や裁量労働制の強化などの規制緩和を進めると同時に、労働時間の上限規制の強化にも踏み込んだ。36(サブロク)協定の特別条項で容認する単月の時間外労働の上限を巡って労使は激しく対立したが、「罰則付きでの時間外労働の上限規制」が実現した。

報道によると、当時、安倍首相は当初子育てと仕事の両立など女性が職場で直面する問題への理解は薄かったという。それが「3年間抱っこし放題」という相当ズレた政策につながっていたのだが、産業界や女性から不評と見ると、一気に女性を労働力として生かす方向に舵を切った。

経営者側に不評だった残業規制も、少子化や高齢化が深刻化する中で、子育て中の女性や高齢者が労働市場に参入しやすい環境を整える意図があった。

企業は総労働時間を厳格に管理するようにはなったが、とはいえ業務量が減るわけではない。DX(デジタルトランスフォーメーション)など仕事の進め方に大きくメスを入れない残業規制は、残業できない部下の仕事を丸抱えする管理職の負担増や、こっそり残業する「サービス残業」の増加など新たな問題も生んだ。

過重労働に対する規制は厳しくなったものの、本質的な働き方改革に至ったのは、私はコロナという外的要因の方が大きかったと見ている。

資生堂ショックが提起した問題

女性に本当に「活躍」してほしいなら、男性の働き方にこそメスを入れるべきという議論は、法整備と同時に、先進企業では「働き方改革」という形で進んだ。

その一方で、女性の働き方自体に関しても、2010年半ばに新たな議論が起きていた。女性を「保護」「配慮」の対象から「戦力」としてどう活かしていくのか、という議論だ。大きな転換点となったのが、「資生堂ショック」と呼ばれた資生堂の美容部員の働き方改革だった。

2014年資生堂では育児のために時短勤務をする美容部員(ビューティーコンサルタント、BC)約1200人に対してそれまで免除されていた夕方以降の遅番や週末のシフトに、入れる人は入る形に見直した。

当時資生堂の女性社員比率は約8割。多くは美容部員だが、総合職の約半数も女性が占めてきた。2004年にはより女性に活躍してもらうために、女性活躍推進を経営戦略に掲げるなど、この分野においては日本で最も早くから取り組みを始めた企業の一つと言える。

それでも2000年代前半までは出産を機に退職する女性が多かったという。「子どもができたら退社」という第1ステージから、「育児をしながら仕事を継続」の第2ステージへの移行を目指して、企業内保育所や短時間勤務制度など両立支援制度の拡充を進めてきた。

「支える側」も「支えられる側」も疲弊していく

その結果、2014年には育児休業者が年間1300~1500人、時短勤務(育児時間)を取得しながら働く社員が2000人弱にまでなっていた。それに伴って深刻な問題になっていたのが、BCと呼ばれる社員たちの働き方だった。

時短勤務者たちの勤務時間が平日昼間に集中したため、平日夕方以降や週末はフルタイムで働く社員たちがいつもシフトに入るというようなことが起きていた。夕方以降の人手不足カバーするカンガルースタッフ制度も導入した。

これは当時、様々な職場で問題になっていたことだった。両立支援制度が充実すると、子育て社員たちは「辞めずに済む」ようになるが、短時間勤務社員たちが早く帰宅した後に、そのサポートをするのはフルタイムで働く社員だ。

当時のAERAでも編集部員の3分の1を占めるワーキングマザー社員たちが、急な出張や夜の取材に行けない分を未婚女性や男性がカバーしていた。

支え、支えられる関係は1回や2回では終わらない。常にその状態が続くと、支える側には不満が溜まってくる。一方の「支えられる側」も「いつも早く帰ってごめんなさい」という罪悪感を抱き、肩身の狭い思いをするという構造が固定化する。資生堂だけの問題ではなかった。

同時に資生堂ショックの背景には、私がこれまで気づいていなかった点もあった。職場の不協和音、不公平感というだけでなく、短時間勤務者のキャリア形成という視点だった。化粧品売り場が混む夕方以降や週末を経験していなければ、多様な客に対しての接客スキルが磨かれず、経験の差が生まれるという側面もあった。

資生堂では上司が時短勤務者のBC一人ひとりに面談して、家族状況や意向を聞き、可能な範囲で夜や週末の勤務に入ってもらうことにした。決して一律に強制はしなかったといい、まず月1回の遅番から始めた人もいた。

資生堂ショックが与えてくれた気づき

資生堂のこの改革は、一部メディアでは「労働強化」というニュアンスで報じられたが、育休制度や育児時間制度(短時間勤務制度)を何か改定したわけではない。当時資生堂ジャパン人事部長の本多由紀さんは、こう話していた。

「男女ともに育児・介護をしながらキャリアアップをしてほしいというメッセージを持って、働き方改革を行いました。資生堂は働きやすさはそのままで、社員一人ひとりと向き合ってキャリアを構築する第3ステージに入っています。配慮の大きさという点で見れば、大きすぎても小さすぎてもダメで、ジャストフィットするマネジメントが必要になります」

資生堂ショックは多くの気づきを与えてくれた。女性社員への支援は両立支援の充実から、キャリアをどう築くのかに移行しなければならないこと、育児や介護を抱える社員とそれをカバーする社員たちとの関係や職場の不公平感をどう解消していくのかということ。これまで福利厚生やCSRの文脈で語られてきた女性の活躍推進が経営戦略の一環になっていることを資生堂ショックは示していた。

「若い女の子を無垢、生娘のうちに牛丼中毒にする」採用ページを見ても納得…吉野家から「女性蔑視発言」が生まれたワケ へ続く

(浜田 敬子)

「保育園落ちた日本死ね!!!」が日本にもたらした変化とは?(画像:「はてな匿名ダイアリー」より)

(出典 news.nicovideo.jp)

<このニュースへのネットの反応>

子どもを産んでなおかつ仕事もしている女性がいちばん日本社会に貢献してるのは事実

1本のブログがツイッター上で大炎上し、国会を揺るがす問題になった。>保育所と待機児童の問題は地域によっては正反対の状況になっていたのだから、そもそもこれを国会に持ち込む方がどうかしている。

生活保護受給資格維持するためにハロワ求人に応募してわざと落ちるみたいな話だったんだよな。保育園に落ちると育児休暇延長に有利とかで。

ピックアップ記事

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事