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本当は日本人になる資格はなかった…フィリピン人夫婦がわが子を「日本人」にした秘密の抜け道

日本では、両親のどちらかが日本国民でない限り生まれた子に日本国籍は与えられない。ところが、フィリピン国籍の両親を持つ田中健太さん(仮名)は生まれながらの「日本人」として暮らしている。中島弘象さんの著書『フィリピンパブ嬢の経済学』(新潮新書)より、一部をお届けしよう――。

■フィリピン人の両親の間に生まれた「日本人」

2020年2月。新宿駅西口でiPadを片手に持った背の高い今どきの若者に会った。彼の名は田中健太(仮名)さん。21歳の大学生だ。

彼からは「本を読んで感動しました。実は両親は2人ともフィリピン人ですが、僕は産まれた時から日本人です。一度お会いしてお話したいです」というメッセージを受け取っていた。

近くのカフェに入り、コートを脱ぎながら、田中さんは照れ笑いした。

名古屋からわざわざすみません。メッセージでも話しましたが、両親はフィリピン人ですが、僕は日本人として産まれました。というのも、母は僕を妊娠していた時にオーバーステイでして、このまま僕を産むと僕までオーバーステイになってしまう。だから産む前に知り合いの日本人と偽装結婚したんです」

田中さん1998年、日本で暮らすフィリピン人の両親のもとに産まれた。母は興行ビザで来日し、ビザの期限が切れても、日本で働き続けた。父もビザを持っておらず、両親ともオーバーステイ状態での日本暮らしだった。

■母親が知り合いの日本人男性と偽装結婚した

田中さんを妊娠し、ビザがないことに困った両親は、知り合いの日本人男性に相談に行った。するとその男性から、日本に合法的にいられるよう、自分と母親が偽装結婚することを提案された。

母はその日本人男性の「田中」と結婚する。その後、田中さんが産まれ、法律上は母が結婚した日本人男性「田中」の戸籍に入り、日本国籍を得た。母親もビザを申請し、オーバーステイの身分から正規の在留資格を得ることができた。

母の偽装結婚相手の「田中」の記憶はあまりない。小さいころ何度か家に来ているのを覚えてはいる。良い人で優しいおじさんだったと記憶している。だが何を話したかまでは覚えておらず、法律上の父が家に来ると「あ、知らない人がきた」と緊張した。

■「あ、自分日本人じゃないんだ」

現在、都内の大学に通う彼が自分が本当は「日本人」ではないことを意識するようになったのは、2019年に大学のプログラムで海外に行ってからだった。

「現地で全く日本人に見られないんですよ。現地の人に間違えられたりして。今まで日本にいて、日本人として過ごしてました。何も疑問に思うこともなかったです。学校の教育を受けて、何か日本社会に良いことをやろうと思ってました。でも海外に出ると日本人に見られない。そこで『あ、自分日本人じゃないんだ』って感じました」

日本に帰り、その時抱いた疑問を調べようと、インターネットや大学の図書館で日本の国籍法を調べた。

「僕、本当は日本人になる資格ないんだって知りました。その時はショックでしたね」

日本の国籍法では生まれた時に日本国籍を取得することができるのは「出生の時に父又は母が日本国民であるとき」と定めている。アメリカのように両親の国籍にかかわらず、生まれた場所で国籍が与えられる出生地主義ではなく、父母の国籍を取得する血統主義を取っている。

両親がフィリピン国籍の田中さんは日本の国籍の要件に当てはまらず、本来なら日本国籍を得ることができなかった。

「もし大学に行かなければ特別変わりのない、普通の人生だったと思います」

今までも、他人の戸籍に入って生きていることに対して、違和感は持っていたが、それほど特別なこととも思っていなかった。

「大学で学んでいく中で、自分の違和感を説明できるようになった気がします」

大学の授業で、フィリピン女性や難民、LGBTQのことを学んでいく中で、今まで「普通」だと思っていた自分の人生を見つめ直すと、疑問に思うことが出てくる。

そして、「小さいころから嘘偽りの人生でした」と話し始めた。

■本当のフィリピン人の父親の存在を隠し続けた

田中さんが、自分は周りとは違うと感じはじめたのは小学校に入学した頃だった。学校で家族のことを話すというときに母から「お父さんのこと言わないで。お父さんの名前は田中○○って言いなさい」と、本当のフィリピン人の父親のことは伏せろと言われ、母の偽装結婚相手の名前を言うように言われた。

学校に書類を出すときも、本当の父の名前でなく偽装結婚相手の名前を書いて出した。周りの友達みたいに家族の話ができなかった。自分が偽装結婚相手の戸籍に入っていることを隠さなければならないからだ。

■交番の前は避けて通るようにした

友達を家に連れてくるときも、母親から父のことを「お父さん」と言わずに「仲のいい知り合いと紹介しなさい」と言われた。でも仲のいい友達だけには、本当のお父さんと話した。

また実の父はオーバーステイだったため、遠出はできない。常に周りを警戒しなければならず、交番の前は避けて通るなど、小さい頃から気を遣った。

母はフィリピンパブで仕事をしていたが、周りには「介護の仕事をしていると言って」と言われていた。また、母は仕事とはいえ、好意がない客にも好意があるように見せる。そんな姿も幼い時から見ていた。

父はオーバーステイ、母はフィリピンパブ。そして自身は、実の父ではない日本人男性の戸籍に入っている。嘘ばかりの人生だった。

■父だけが逮捕され強制送還となった

田中さんが子供の時は、夜、母が仕事に出てしまうため、実の父親と過ごす時間が長かった。父親からは「勉強しなさい」と厳しく言われることも多かったが、いつも一緒にいるため、田中さんは「お父さん子」だった。

父親との思い出は、小学校の頃の自由研究。小さな庭で父が育てていたトマト、ナス、ゴーヤ、里芋、インゲンなどを観察した。

「本当に凄いんですよ。何でも庭で育てちゃう」と当時を思い出し、嬉しそうに語る田中さん

法的な関係は無く、オーバーステイ状態の「父」だが、田中さんは父親を一番頼った。しかし、中学3年の時、いつものように早朝5時から工事現場の仕事に向かうために家を出た父は、玄関の扉を開けると同時に警察に囲まれ、捕まった。父はそのまま連行され、フィリピンに強制送還された。父が捕まった後、母は号泣した。

「この時期が一番つらかったです。受験もあったし、学校でも友人たちとの関係に悩んでいましたから」

父がいなくなってから、母との関係も悪化した。今まで、父が作った夕食を一緒に食べながら、学校であったことも全て父に話していた。一番の理解者だった父を失った田中さんは、母と2人暮らしになってから「文化の違い」を感じるようになる。

フィリピンの人と日本人との考え方の違いというか。母がわがままをいう時もあったり、『あなたのためにやってる』っていうのも嘘のように聞こえたりしてしまって」

進学の相談も母にはしなかった。大学受験前で勉強に集中したい時も、母は友人を家に連れてきて、どんちゃん騒ぎすることもあったし、家に男の人を連れてくることもあった。そして「フィリピンの父には内緒にして」と言われる。

今でも「偽装結婚したことで母が捕まらないか、僕も国籍が剥奪されないか、常に不安を持ってます」という。

■旅行先のフィリピンで5年ぶりに実の父と再会

「自分の周りのフィリピンハーフの人たちで大学に行った人は少ないですね」

田中さんは、大学に進学した。大学では外国人の先生も多く、社会問題について議論する授業も多い。間違ったことを言っても怒られることはない。そういう中で色々なことに興味を持ち、勉強だけでなく、学生団体を立ち上げたり、学生のまま会社勤めを経験したりした。

英語の勉強にも励み、通訳の仕事もできるほど英語力が身についた。仲間たちと環境問題やSDGsなどのテーマオンライン企画を立てたり、英語のスピーチコンテストを主催したりしている。

大学2年生の時に、田中さんは友人とフィリピン旅行に行った。帰る時、空港に父が会いに来てくれた。5年ぶりの再会だった。「フィリピンはどうだったか?」「日本での生活はどうか?」といった話をした。昔そうしていたように、日本語で会話し、わからない言葉は英語を使う。久しぶりの親子の時間に田中さんも父も涙を流した。

大学3年生の夏には、スタディツアーフィリピンに1カ月滞在した。主催団体に許可をもらい、週末は父の家で過ごした。父は60代になっていた。

「父も高齢になってきましたし、また一緒に住みたいです」

法的には何ら関係のない2人だが、田中さんにとっての「父親」は、フィリピン人の父1人だけなのだ。

■「ばれたら、という不安は常にある」

大学の親しい友人たちにも自分の生い立ちを話すようになった。話しても状況を理解してくれない友人、「気にしないよ」と言いながら、法律的に大丈夫なの? と不安に思う友人、ありのままを受け入れてくれ、話を聞いてくれる友人など、反応も様々だ。

「嫌な感じとか差別的な感じを出す人はいませんでした」

大学4年生に上がると、卒業研究で自分と同じようなフィリピンルーツを持つ人たちに話も聞くようになった。

「僕のように他人の戸籍に入って生きている人って結構いると思うんですよ。制度的には困ることがないんです。パスポートもとれるし、投票権もある。だけど、ばれたら、という不安は常にありますから、自分からそのことについて声をあげる人はいないと思います」

■「偽装認知」の話は禁句

2013年名古屋市内のフィリピンパブで、フィリピン人男性との間に生まれた子供を、見ず知らずの日本人男性に認知させる「偽装認知」という方法で、日本に来ていた女性に会ったことがある。彼女もマネージャーと契約を結んで、その手引きで子供を日本人男性に偽装認知してもらっていた。

日本に来たばかりの頃は、片言の日本語で一生懸命話していた。偽装認知で日本に来たことも教えてくれた。何年か経つと、彼女は客を沢山持ち、売り上げを上げ、契約の途中でマネージャーに金を払い契約を終えた。そこから店のママをやったりと、フィリピンパブ業界の中で成功を収めている。

その頃から、偽装認知しているという話をしなくなった。子供は「日本人」として小学校に上がり、今も日本で生活をしている。

田中さんの母も、今では「その話はしないで」というそうだ。

日本で生活の基盤を作り、これからも日本で生きていく彼らにとって、その話は禁句なのである。

■日本で仕事を得るための「抜け道」

田中さんは、自身の出生の際の偽装結婚を理由に逮捕されるなどの可能性があるか、不安になり、弁護士に相談したという。

「僕の日本国籍が剥奪される可能性はないみたいです。でも母は、もしかしたら捕まるかもしれないと」

田中さんの母が、父がしたことを、犯罪だから「悪い」と断言することは簡単だ。

日本で仕事をしたい、生活したいと思っても、日本の厳しい入国管理制度の中では、在留資格を得るのは難しい。だが入国すれば、仕事先はある。企業も働き手を求めている。だから、こうした抜け道を使う外国人も当然出てくる。

日本にフィリピン人が増えてから30年以上がたった今、こうしたことが現実に起き続けている。

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中島 弘象(なかじま・こうしょう)
文筆家
1989(平成元)年、愛知県春日井市生まれ。中部大学大学院修了(国際関係学専攻)。会社員として勤務するかたわら、名古屋市フィリピンパブを中心に取材・執筆等を行う。前著『フィリピンパブ嬢の社会学』は映画化が決定した。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/show999

(出典 news.nicovideo.jp)

RT RT

なにこれ・・・・・・いろんな意味でこの、えぇ・・・・・・

BCTA BCTA

どっちも悪いのは十分承知だが、偽装と無戸籍とどっちがまし?

名無し 名無し

日本の入管が悪いみたいな結論にしてる安定のマスゴミ、仕事したいなら適法の中でやれ

通りすがり 通りすがり

やっぱプレオンって反社なんやなって。

エンジェル野郎 エンジェル野郎

出生地主義のアメリカで国籍目当てで中国人が子供産むために押し寄せてるのは語らないんやな。

銀狐 銀狐

これアウト案件では?

納豆御飯 納豆御飯

何と言うか『子供に罪は無い』感を全面に押し出しておいて、結局は入管が悪いという印象操作をして後は放置という、クソ以下なマスゴミの本性が露呈したクソ記事でしたって落ちだったな。

一般通過ゲスト 一般通過ゲスト

オーバーステイの身で子供作るなよそもそも

ccx ccx

米国国籍の出生地主義は、そうしないと移民の末裔の白人のほとんどが自国の国籍を取得できなくなってしまうという特殊な事情に起因している。日本も大量の移民を受け入れるという国民的合意があれば、ドイツのように血統主義から出生地主義に転換することも選択肢になりうるが、その前提条件を満たしているのかどうか直視してもらいたい。

もっぷ もっぷ

これ、偽装に加担した日本人が死んだときに遺産でもめたりしてなw

ASFASFASFA ASFASFASFA

ただの犯罪者で草

ゲスト ゲスト

いまからでもいいから前科つけて熨斗紙もつけてフィリピンに返してあげればよい

Theron Theron

抜け道じゃなくただの犯罪です

天野龍雅 天野龍雅

アメリカは国籍保有者にどこに住んでようが納税義務が発生するからそれで良いかもだけど。日本国籍はアメリカ国籍と別の意味でブランド物だからおいそれと与えて良いものじゃない。

memori memori

手引きした犯罪の成功例を得意げに語ってんじゃねえよ、反社プレオン

ゲスト ゲスト

外来種の駆除部隊が必要だ!

eーやん eーやん

検索して調べてみたけど帰化するのって別に難しくないだろ、記入する書類が多くて面倒なだけで。 5年以上日本に住んで3年以上の就労 その間税金や社会保障費を払う 20歳以上 犯罪歴、重大な交通違反歴が無いこと 生計を営むことができること 後は重国籍禁止とかテロ思想チェックとか日本語習得済みかって程度。

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