「不登校YouTuberゆたぼん」はあと4年で大人になる…9歳の少年を嗤ってきたネット民が向き合う現実【2023上半期BEST5】 | ニコニコニュース
■「俺が自由な世界を創る」をテーマに活動してきたゆたぼん
4月24日、少年革命家を標榜している沖縄在住の14歳の少年「ゆたぼん」(本名:中村逞珂(ゆたか)さん)が「【ご報告】ガチで勉強してみた」(※2023年5月24日現在は「【みんなの学園】で勉強してみた」というタイトルに変更されている)という動画を公開し話題になりました。これがファンの期待を裏切る内容だったのか、動画公開前には約6万人だったTwitter(現・X)のフォロワーも執筆時点(5月22日)で約3万6000人に激減しています。
旬は過ぎたとはいえ、メッセージ性が強くて面白かったんですよね。いい感じで「勉強することや、学校に通うことは本当に正しいと思っているのかお前ら」という直球は、いろんな人が共感し、いろんな人が煽られてムカついてました。
まだ小さいゆたぼんの健気な姿とその父親の中村幸也さん、および周りにはびこる有象無象やメンターを名乗るネット有名人たちの群像劇が面白くて、私は長いことウォッチしてきたんですよね。実際に、私も4人の子どもを育てていて、まさに上の子はゆたぼんと似たような年代であるため、そういう自由な生き方もあるのだなあと思うわけです。半分、うらやましいというか。
自分の子を学校に通わせない選択肢は親として「無い」とはいえ、友達との折り合いが悪かったり、担任が野放図に出す大量の宿題に嫌気がさして休みたいと訴えるわが子とどう向き合うのか、考えるときにゆたぼんの主張は参考になりました。
そもそも、ゆたぼんが不登校になったのは、小学校3年生のころに宿題をやらなかったことを教師に怒られたことがきっかけだったそうです。わかる。不登校になってから1年ほど経った2018年8月に公開した動画「不登校は不幸じゃない!」から不登校に関する動画を投稿するようになり、同年12月に公開された動画では「親と先生の言いなりになって、宿題をやっている周りの子たちがロボットに見えた。このまま言いなりになってたら、俺までロボットになってしまう」という語りかけが話題になったのは、おそらく皆さんの記憶にも残っていることでしょう。
そうした活動が2019年5月5日付の琉球新報にも取り上げられ、「不登校は不幸じゃない」とか「俺が自由な世界を創る」というメッセージは広く知られるようになり、YouTubeなどのSNSを通じて、いろんなネット有名人との交流を広げ、存在感を高めていきました。忘年会に呼ばれて格闘家の皇治さんや山本美憂さんなどそっち方面との写真を誇らしげに掲載するのを見て、ああ、そっち方面を目指しているのかなとも思った次第です。
■「チャンネル登録よろしく」と書いたトラックで旅に出る
これに対し、「これは父親である中村幸也さんの育児ネグレクトではないのか」とか「むしろ父親の自己顕示欲をトリガーにしたロボットなのではないか」という批判も聞かれるようになりました。確かに、社会経験の乏しい小学生がネットで有名になるようなテーマ性のある発信をするには、やはり周りにいる大人のプロデュースは必要なのは間違いありません。
さらに、2021年には中村幸也さんが衆院選・沖縄2区に旧NHK党(現・政治家女子48党)所属候補として出馬し、候補者4人中4位(得票率1.94%)で落選するなど、「何してるのこの人」という感じのエピソードも増えていきました。
2022年には、日本全国をゆたぼんが漫遊して学んで回るという趣旨の企画で、スタディ号という名前の専用車(トラック)を仕立てて旅に出ておりました。「少年革命家ゆたぼん チャンネル登録よろしく」と大きく書かれたトラックで日本中を旅するというのは、度胸がないとなかなかできないことだと思います。
■活躍の背景にあった「子どもの不登校問題」
ゆたぼんと実質的なプロデューサーとみられる父・中村幸也さんが話題を集めてきた背景には、やはり「若者の不登校のロジックを割と正面から分かりやすく論じていたこと」にあります。
一つひとつの主張を見ていくと、必ずしも理路整然とした厚みのある話が展開されているわけではないのですが、他方で、世間一般では学校の先生のなり手が不足し、公教育の現場は荒廃しつつある現状があります。児童福祉の充実を目的として「こども家庭庁」の成立が決まるなど、子どもの教育の在り方を巡る議論は白熱しており、不登校も重要な課題です。
たとえば小中学校で高い学力を実現できている秋田県では、子どもの主体的な授業参加が可能になるアクティブラーニングの在り方のモデルケースになるなど、教育実践もエビデンスベースでどんどん変わってきています。秋田大学大学院の阿部昇教授は「秋田の小中学生の高い学力の理由は、『授業の最初にめあて・課題を決める。ひとりで考えた後、班や学級全体で意見交換をして、授業の最後に、まとめ・振り返りをする』というような児童・生徒主体の授業、『探究型授業』にある」と語っています。
もともと、ゆたぼんが不登校となった理由とされる「クラスメイトが教師の言うことを従順に聞いていて、ロボットみたい」という素朴な受け止めが事実であったならば、こうした探求型授業のような新しい授業の形態がもっと早く広まっていれば、ひょっとしたら学校に通い続けられたのかもしれません。
ゆたぼんが不登校について考えるところをYouTubeで自身の言葉として述べ、それが例え父親の仕込みであるのだとしても、小学生の言葉として学校の意義に対して正面から懸念と疑問を打ち出すことで得られた共感は、単なる見世物で終わらせてはならない一定の思想性を持っていたのだと言えます。
■幼い子どもだから印象的だったが…
ゆたぼんが急速にオワコン化してきているのも、所詮は周りの大人に吹き込まれたことを語っているだけなのではないかという舞台装置の見え隠れによる興覚めと、子役芸能人と同様に「小学生のような子どもだから希少だったけど、中学3年にもなって身体も大きくなったのにいつまでも言うべきことなのかそれは」という見る側の変容もあるのではないかと思います。
自分の倅(せがれ)どもを見ていても、中学生にもなって夜更かししてゲームしてて朝起きられず「中学に行きたくない」と布団の中で泣き叫ぶところを叩き起こして、口に茶とトーストぶち込んでかばんに弁当詰めて玄関から「いってらっしゃい」と蹴り出す日常を思い返すと、自分の生活そのものすぎてゆたぼんに共感どころではなくなっているのですよ。
ロボットかどうかなんてどうでも良くて、目の前の日常が大変過ぎて、次クソみたいな点を取ってきたら内申点とんでもないことになるぞという危機感のほうが先に立ちます。
小学生の頃は、生活の乱れは親の責任だし早く寝かせてやれなかったのは悪かったなと思うのですが、母親よりでかい図体して朝いつまでもゴロゴロしてんじゃねーよと感じるのは、育つ子どもの歳相応の対応になるものなのだと思うのです。
■小学生の頃から言っていることが変わっていない
そして、ゆたぼんが喋っている内容をご覧になっている方はお気づきかもしれませんが、小学校の頃と、そこまで話していることが変わっていないのです。
たとえば、5月5日に公開された「死にたくなるぐらいなら学校行くな」という動画では、不登校について語り始めた4年前と変わらず「人生は冒険だ」「自由に生きよう」などと語っているわけです。おまえ、あれからもう4年も経過しているのに、なんだその学のない話し方は。多感な時期に、嫌でも何かを学ぶことの大切さって、こういうところに出るのではないかなあと思うわけですね。
裏を返すと、プロデュースをしているゆたぼんの父親の世界観が子どもの成長と同じようには広がっていかなかったことをも意味するのかなと感じます。
■「ネットのおもちゃ」のように消費されてしまった
そういう一風変わった芸風のゆたぼんを、しょせんは他人の人生だからとネットのおもちゃのように消費してきたのもまた日本のネット社会であり、それは悲劇であったように感じます。やっぱり、最初出てきた時は面白かったし、子育てをしている親目線からしても「そういう意見もあるよな」と受け入れられたわけですよ。
ゆたぼんも、2022年の11月2日にTwitter(現・X)で「10月だけで俺に関するニュースが100本ぐらいあったらしいw」と投稿しておりネットで話題にされていることを喜んでいるようですが、ネガティブな文脈で取り上げられている記事も少なくないことを考えると、当時13歳の少年がネット社会で見世物にされるという残酷な状況にあったと言えるでしょう。人気を博しても旬が過ぎるとファンだけが減ってアンチが残るのは世の常とも言えます。
たしかに、はあちゅう(伊藤春香)さん的な人生コンテンツも、切り売りできる人生に他者からの共感や参考にできる価値がなくなればオワコンになるのと同様、おそらくは世間の話題となる「次の何か」を探してもがいている状況になってしまっています。冒頭で紹介した勉強に関する動画もそのひとつでしょう。
ただ、はあちゅうさんが成人してから活動し始めたのに対して、ゆたぼんは9歳から動画投稿をしているわけですから失ってしまった時間の価値は比べ物になりません。我慢してでもきちんとした学びを経なかった子どもがどうなるのか、あまり良く無い意味でのリアリティーショーを観させられているのが現状でしょう。
■そろそろ“タイムリミット”は近づいてきている
18歳を子どもとしてのひとつの区切りとするならば、あと4年のうちに彼は小学校3年から学んできたことを武器になにで生きていこうとするのか、そろそろタイムリミットが近づいてきているなあと思ったりもします。中学生にもなって何を言っているの、というのは同じ世代の子育てをしてきた視聴者には割と共通した印象になってしまうため、若くして客離れによるオワコンを経験するのが果たして良いことなのかどうか。
出せる話題も乏しくなって、全国を漫遊する足となった「スタディ号」を売却する話を企画するも、最初は1000万円だ、2000万円の買い手がついたとはしゃいでいたものが、はしごを外すような「実は2000円でした」みたいなオチになっているのも、はしごを外されて落ちるさまを笑うというより嗤(わら)う感じになってしまうのももったいないことです。こんなはずじゃなかったんでしょうね。
そして、ふと正気に返ると、私も子どもたちと一緒に過ごせる時間もだんだん終わりに近づいて、彼らのために本当に何ができたのか、きちんと学んで社会で生きる能力・スキルを身に付けるに資する何かができていたのか、父親として自問自答したりするのです。かつて、私の父親が私に対して思っていたのと同じように。
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情報法制研究所 事務局次長・上席研究員
1973年、東京都生まれ。96年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東京大学政策ビジョン研究センター(現・未来ビジョン研究センター)客員研究員を経て、一般財団法人情報法制研究所 事務局次長・上席研究員。著書に『読書で賢く生きる。』(ベスト新書、共著)、『ニッポンの個人情報』(翔泳社、共著)などがある。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。
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