「負債7億5000万円」「夫が逮捕」でも離婚を拒否した烏丸せつこの大波乱人生/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 | ニコニコニュース
誰とは言わないが、夫の経済的理由をきっかけに、離婚に踏み切る女優は少なくない。仕事で自立しているとはいえ、役者は不安定な自由業。特に子供がいる場合は養育の責任もあり、それはある意味、仕方のない決断といえるだろう。
だが、その真逆の人生を選択した女優もいる。20歳年上の夫の会社の危機に際しては自らが体を張り、写真集を出版。さらに、夫が脅迫容疑で逮捕されてもなお、「離婚はしません!」と宣言する。最後は夫婦で自己破産した後も、夫を支え続けた。それが1980年に第6回クラリオンガールでデビュー後、映画「四季・奈津子」などで活躍した烏丸せつこである。
烏丸が「駅」「海峡」などを手掛けた映画プロデューサーの田中寿一氏と結婚したのは、1982年。結婚後、女優業を引退して社長夫人の座に収まっていたのだが、資金的に自転車操業だった田中氏は、86年公開の「植村直己物語」撮影中に、1回目の不渡りを出した。
88年公開の「パンダ物語」も、興行的に失敗。その結果、1991年3月5日に2度目の不渡りを出し、会社は倒産することになった。当時伝えられた負債総額は2億円。烏丸名義の借財も4500万円あったと報じられた。
ところが会社倒産から7日後の3月12日。あろうことか、田中氏は新宿区在住の不動産業者宅に刃渡り25センチの文化包丁を持って押しかけ、家人を「殺してやる!」と脅す暴挙に出る。そして4月21日、警視庁牛込署に逮捕されたのだ。
当時の所轄署を取材したメモには「早朝に捜査官6人・脅迫容疑・ステンレス製包丁・自宅マンションで逮捕」とある。殺意以外の犯行事実を全面的に認めた田中氏が釈放された5月2日夕方、沈黙を守っていた烏丸が、都内で記者会見に臨むことになった。
「たくさんの人にご心配をおかけしたことを、お詫びいたします。どうもすみませんでした」
憔悴しきった表情で頭を下げた烏丸は続けて、
「(相手宅にも)田中の妻としてお詫びしたいと思い、何度かお伺いしましたが、会ってもらえませんでした。(借金については)私も現場に復帰して、少しずつでもお返していきたいと思っています」
しかし、こと離婚に関しては、
「そういったことはありません。私はあの人を愛しているし、子供たちも同じ気持ちです。本当に映画が好きな人ですからもう一度、再起させてあげたい。もっと私がちゃんとしていたら、こんなことにはならなかったかもしれません」
烏丸は一家の生活を支えるため、芸能界に復帰。しかし、田中氏が抱える7億5000万円の負債を前に、2人は自己破産の道を選ぶことに。女の意地を貫いた彼女も2001年11月、ついに19年の結婚生活にピリオドを打った。その後、2014年に再婚したが、波乱の人生が女優人生の肥やしになったことは間違いないだろう。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。