なぜわざわざ「苦手な親戚」に会う必要があるのか…社会学者が「帰省がしんどい」と言う人に伝えたいこと | ニコニコニュース
■年末年始の新幹線は予約で満席
新型コロナウイルス感染症が、感染症法上の5類に移行して初めての年末年始、久々に帰省する人が多いだろう。
他方で、コロナ禍によって「帰省できなかった」という人だけではない。
コロナ禍を理由にして「帰省しなかった」人も、かなりの数になるのではないか。
今シーズンから年末年始の東海道・山陽新幹線「のぞみ」は、全車すべての座席が指定席になる。
早めに座席を確保しなければならないと思わせた効果もあったのか、利用者数は、新型コロナウイルス感染症の流行前を上回っている。
長く間が空いた人では、2018年の年末以来5年ぶりの帰省になる場合もあるだろう。
久々に故郷に戻り、家族や親戚と食卓を囲んだり、同級生たちと旧交を温めたり、そんな光景が全国各地で見られるに違いない。
ただ、新幹線を予約した人たち全員が、そんな期待だけを抱いているわけではない。
「帰省ストレス」や「帰省がしんどい」で検索してみよう。
たとえば、「プレジデントオンライン」でも、5年前に「夫が知らない『妻の帰省ストレス』全原因」と題した記事を掲載している。
その記事では、「義実家への帰省」をめぐる男女の意識の違いに焦点を当てているものの、義理であろうとなかろうと、実家に帰るには、それぞれの思いを抱えている。
不動産情報サイト「高く売る不動産」が、実家から離れて暮らす500人を対象に、11月実施したインターネット調査によれば、「実家に積極的に帰りたいと思うか」との質問に対して、「思わない」と答えた人の割合は35.6%である。
「実家に帰りたくない(帰省したくない)理由」として、178人の複数回答のなかで最も多いのは「実家が遠い」(36人)であり、お金と時間を挙げている。
ただ、2位の「家族とそりが合わない」(35人)や3位「実家でやることがない」(28人)と続き、「疲れる・気を遣う」は4位(11人)にとどまる。
同サイトは「帰りたい気持ちはあるのかもしれませんが、『遠い』という理由で足が遠のいている人も多いとわかります」と分析しているものの、本当にそうだろうか。
■「コスパ」に合わない帰省
しかし、「帰省+しんどい」をSNSで見れば、次から次へと、いろいろな「しんどさ」が出てくる。そこから推測すると、「遠い」から帰りたくない、とは言い切れない。
「遠い」を上回るメリットがあるとは思われていない。つまり、コスパに合わないと思われているのは確かなのではないか。
貴重な年末年始のお休みを費やすだけでなく、安くはない費用をかけてまでは帰りたくない。物理的な距離にとどまらず、心理的にも金銭的にも、何よりコスパ的に「遠い」。そんな思いを全部まとめた理由が「実家が遠い」なのだろう。
今の帰省は、そうした空気に包まれている。
帰省のデメリットは、他にもある。
独身であれば「結婚は?」と聞かれたり、結婚していれば「子どもはまだか」の質問が出たり、子どもがひとりなら「2人目は?」とカジュアルに言われたりするかもしれない。
会社や学校ではハラスメントとされる問いは、帰省先、つまり、実家や、そこに集まる親戚のなかでは、当たり前ですらあろう。
コロナ禍によって4年ぶりの帰省ともなれば、それまで以上に、あけすけで不躾に、質問攻めに遭う恐れは高い。
■「会いたくもない人と会う」のは時間のムダ
家族や親族だけではない。「地元のつながり」もまた、帰省の遠さを感じさせる。
昔を懐かしんで、今の様子を伝え合う。人生がうまくいっていると思えるのなら、楽しい時間である。自慢にはならなくても、お互いに肯定し合い、心地よい時を過ごせる。
けれども、そういった人ばかりではない。映画化された、山内マリコの小説『あのこは貴族』で描かれているように、故郷での同窓会は、決して愉快なだけの集まりではない。
いくらでも連絡手段があり、オンラインならいつでも会える以上、わざわざ帰省して会うのは、コスパだけではなく、何よりタイパが悪い。
会いたくもない人と会う、それは、コストだけではなく、何よりも時間の無駄だともとらえられるからである。
コスパもタイパも悪い。しかも、まだまだ新型コロナウイルス感染症への懸念は消えていない。
そうなれば、わざわざ帰省する必要など、どこにもないと考えても仕方がない。
■「都会で生活する人」特有の無理解な言い分
だからこそ、今こそ帰省を見直すべきなのである。
親が鬱陶しいとしても、親戚を無神経だと感じるとしても、あえて今、帰省を見つめ直したい。地元の友人を面倒だと感じるところに、いつもは会わない人たちと接する貴重な機会を得られるところに、帰省の意味があるからである。
都市部、とりわけ東京圏への人口が集中するにつれ、会社や学校、地域以外の人たちとは接点を失っているからこそ、帰省の価値が出てくるのではないか。
なるほど、帰省するだけではお互いの理解を進められないかもしれない。嫌いな親戚に会った結果として、以前よりも余計に属性が異なる人たちへの違和感を覚える可能性もある。
もとより、帰省を嫌々ながら無理やりする必要は、どこにもない。
けれども、そういう主張こそが、まさに「都会で生活する人」特有の無理解な言い分なのである。
■「余裕」がなくなった日本社会
なぜなら、社会は都市部だけでも農村部だけでも成り立たないからである。多様性を失った社会は、衰退するほかないからである。
現代の日本では、税収も人口も都市圏に偏ってきている。
先ごろ国立社会保障・人口問題研究所が発表した2050年までの「地域別将来推計人口」によれば、東京への一極集中は、ますます進むと予想されている。
内閣府がまとめた「地域の経済2022 地方への新たな人の流れと地方のデジタル化の現状と課題」によれば、「感染症の影響で東京圏の転入超過数は大幅に解消したが2022年に入り回帰の動き」が見られるという。
感染症の拡大をきっかけに、地方圏から東京圏に移り住む人は減り、東京から近郊の3県(埼玉、千葉、神奈川)への移動が増えていた。
ほとんどの人にとって帰省先であろう地方は、高齢化と少子化が急速に進み、医療費をはじめとする社会保障費が増え、税負担は低くなっている。
都市から田舎への仕送りの構図は、明治維新以来の日本の課題とはいえ、そこに安住していられる余裕は、この社会にはもう、ない。余裕のなさは、分断になってあらわれる。高齢者の医療をめぐるインターネット上での空気が典型的だろう。
■今こそ「帰省の価値」を見直すべき
高齢者に使うよりも子育て世代に使うべきだ、との主張はSNSで、逆の主張は主にテレビで見られる。アメリカほどではないものの、世論は2つに分かれつつある。
「分断」がいけない、という説教をしたいのではない。
「分断」を受け止めて、解決策を他人事ではなく考えるための格好の手段として、帰省がある、と提案したいのである。
日本という国に、誇りを感じるか、恥ずかしさを抱くか、それは人それぞれだろうし、誰かに強制されるものではない。
とはいえ、日本に生まれたり、住んでいたりする以上、この国のかたちを考えないわけにはいかない。
その国を体感するチャンスが、帰省なのではないか。
帰省をするにせよ、しないにせよ、年末年始とは、自分たちの故郷を通して、国を想像する稀有な機会であり、その点で、今こそ帰省を見直すべき時が来ているのではないか。
----------
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
----------