長年「永遠の17才」を名乗り続け、声優業界では「17才教の教祖」としても知られる井上喜久子さん。
彼女はなぜ「17才」をつらぬくのか? 井上さんの考えを改めて聞いてみると、未来の自分に向けた真摯な考えを伺えた。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
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本当の17才は苦しい
井上 1人でいるのが好きで、小説の文庫本を制服のポケットに常に入れて読むような子でした。石川啄木にもはまって『一握の砂』を枕元に置いて読み返したり、そらんじたり。
──そんな文学少女が、今ではありとあらゆるコスプレをしている。
井上 変身願望が強かったんですよね。小さい頃は、おもちゃの『ひみつのアッコちゃん』のコンパクトセットに夢中になってました。
すぐにやめちゃったけど、高校でテニス部に入ったのも『エースをねらえ!』の岡ひろみや、スコート姿にも憧れたから。本を読むのも好きだったし、色々な格好を楽しむのも好き。それは今もですね。
──スポ根気質みたいなものはあった?
井上 いや、全然です。でも思い返すと、高校3年の頃に1年サーフィンをやってるんですよ。
──自叙伝でも書かれてましたね。意外でした。
井上 サーフィン映画の『ビッグ・ウェンズデー』をテレビで見たら友達と盛り上がって「やってみよう!」と。サーフボードを担いで電車にのって鎌倉の海に行ってました。泳ぐのも好きで、自分のことをお魚の生まれ変わりだと思っています(笑)。
サーフィンに誘ってくれたこの友達は、声優になって色々な役をいただけるようになったものの、あまりの多忙とプライベートでの悩みも重なって、何もかもに自信がなくなっていた時にスポーツジムに一緒に行こうと誘ってくれたんです。
運動してシャワーを浴びて、座ってひと息ついていたら、トンネルを抜けたように世界が明るくなって、その時に「私、井上喜久子2号になろう」と。そこから色々なことが楽しくなりました。「人は変えられないけど、自分は変えられる」って。
──それでも人生、つらかったり苦しかったりすることはあると思うんですよ。そういう時はどうしていますか?
井上 何もかもが、いつかお芝居に生かされると思っているので、感情を心の奥にしまっておいて、そういう役がきた時に取り出すんです。傷ついたことも、怒りも、お芝居で返せるようになる。
ダークなキャラクターを演じる時は、それを心の箱から取り出してやってみると、表現できるような気がします。それも今は「やるぞ」と思ってやるのではなく、自然とできるようになりました。
──全てお芝居の栄養にできる。
井上 それか、悲しいこともつらいことも、潔く捨てちゃった方がいいです。私はもう“2号”になっているので、悩みを育てないんですよ。忘れちゃう。
とはいえ、今でも1日、2日くらい落ち込んだりすることはあります。それでも「次に行くぞ」と切り替えて。ずっと悩んでしまうタイプの人にも、こう、見たらすぐやれるみたいなコツをお伝えできたらいいのにな……。
井上 「今はつらいかもしれないけど、この先はもっと楽しいよ!」って伝えたいですね。17才の響きは素敵だし好きだけど、青春時代ってみんな苦しいことがいっぱいあるじゃないですか。本当の17才は苦しいんです。でも、あきらめないでほしいですね。何十年後かに、楽しい17才が待っているから。
キャリアを積んだ声優の難しさ
──井上さんは最近、華道も再開されたとか。
井上 今年の1月から、35年ぶりに。久々にやってみたら、本当に楽しいです。花の命を大切に美しく生ける華道はやればやるほどに奥深くて、一生かかっても極められるかどうか。大先生のみなさまもご高齢ながら活躍されていて、すごい世界ですよ。
──一生、続けられる。
井上 「井上喜久子17才です」ってよく言ってますけど、70才や80才になった時のこともよく想像するんですよ。自分が今やりだしたことのピークが、体力的なことで先すぼみになったら悲しいじゃないですか。
だから未来を想像した時に、華道ならそのくらいの年齢でも活躍している方がたくさんいるし、この先に体に自由がきかなくなったとしても「これはできる」と感じられるものがあるって素敵ですよね。
──そういう意味では、声優業も体力の限り続けられるお仕事では。
井上 役者の仕事もそうですね。とはいえ実際には、なかなか厳しいですよ。アニメにせよ吹替にせよ、予算内でキャスティングされるので、大御所の方だと難しい場合もあって、より若い方にお願いすることもあるんじゃないかと思います。特に吹き替えでは、子どもから老け役まで、どんな役でもこなせる若手のスーパージュニアさんもいらっしゃるので。
──声優はランクによって出演料が異なるので、上には上の悩みが……。
井上 そんな中でも、第一線で輝き続けている先輩方の存在に勇気づけられるし、希望です。背中を見ながら、私も芸を磨き続けていきたいですね。
もうひとつ、私は物語をつくるのも好きなんですよ。自分で作詞・作曲した歌もあって、即興で曲を作るのも好き。
──20曲以上も手がけていますね。
井上 ファンクラブのイベントでもお客さんから3つお題をもらって、即興で歌う「シャボン玉ソング」をよくやるんです。創作も作詞・作曲も大好きです。
養成所に通っていた頃からずっと一緒のぬいぐるみのお友達「ウェンデにゃん」に、私が考えた17人のお友達をつくって、それぞれに物語を考えたりもしているので、何かやれたらいいな。これから10年でも、20年でもかけて、声優界にも自分が生きてきた世界にも、笑顔になってもらえるような恩返しをしていきたいですね。
「17才は年齢じゃないの。生き様なの」
──自叙伝のタイトルにもなった「井上喜久子17才です」「おいおい!」のコール&レスポンスは、1998年のラジオ番組『かきくけ喜久子のさしすせSonata』で生まれたセリフですね。
井上 構成作家の土井武志さん。昔、羊のかわいいアニメでラムジーちゃん、というキャラがいたんですが、土井さんが羊に似ていたので「ラムジーさん」って呼んでました。そのラムジーさんが台本に書いてくれたセリフです。
番組が始まった当初は、一緒にパーソナリティを務めた山本麻里安ちゃんが16才の現役女子高生で、私が34才。冒頭で「山本麻里安16才です」「井上喜久子16才です」の挨拶がお決まりだったのが、麻里安ちゃんに誕生日が来て17才になり、私も17才になって、麻里安ちゃんが18才になってもそのままずっと17才でいます。
──声に出したい日本語です。
井上 もう「井上喜久子です」で止まれないんですよ。口が勝手に「井上喜久子17才です」って言っちゃうんです。
──(笑)。自叙伝に書いてある「17才教心得」の「17才は年齢じゃないの。生き様なの」は、井上さんの想いを表現してくれるいい言葉ですね。
井上 いいですよね。ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記さんのラジオ番組で、リスナーさんが送ってくださった言葉なんです。本当はそのリスナーさんにお礼をしたいのに、どなたが作ってくださったのかわからなくて……ぜひ名乗り出てください(笑)。
──改めて、「17才」のままでいるのはなぜなんでしょう。
井上 たまに「17才の若さに固執している」「少女主義」と言われることもあって。でもそれは全く違って、年齢ではなく、いきいきとした生き様を続けていくことを表しているんです。
──年齢にこだわらないからこそ、逆に。
井上 アンチテーゼじゃないですが、年齢にこだわらないこと。17才の頃は、この先の未来で何が待ち受けているのか、将来こんなことやあんなことがしたい……って考えていたはずなんですよね。
年齢を重ねれば重ねるほど失敗も怖くなって、失敗が恥ずかしくなる。でも、若いと失敗しても「やっちゃった、えへへ」で次に向かって歩ける。そういう世界が好きで。気楽に色々なことを楽しんでいける17才でありたいです。
80才や90才になって、病院で年齢確認をされた時に「17才です」と言って看護師さんを笑わせるのも夢ですね。そこで「おいおい!」って返してもらえたら、嬉しくてそのまま天国に行っちゃうかも(笑)。