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「私はお父さんの子どもじゃないんだ」父・赤井英和とは14年間会えず…赤井沙希(36)が幼少期に抱いた“複雑な思い”――2023年読まれた記事 | ニコニコニュース

2023年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。家族部門の第3位は、こちら!(初公開日 2023年11月28日)。

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 今月12日にプロレスラーを引退した、タレントの赤井沙希さん(36)。彼女は、元プロボクサーで俳優の赤井英和さんを父に持つことで知られている。両親が幼い時に離婚し、父親の記憶がほとんどないまま育った赤井さんは、芸能界デビューがきっかけで、14年ぶりに父親と再会。その後、“赤井英和の娘”というレッテルに悩みながらも、芸能界とプロレス界で活躍してきた。

 そんな彼女が、自身の半生を綴った著書『強く、気高く、美しく 赤井沙希・自伝』(イースト・プレス)を上梓した。ここでは同書より一部を抜粋し、赤井沙希さんの幼少期や父・赤井英和さんのエピソードを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

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ふとしたときにテレビに映る父

 わたしはそうやって、母と姉と祖母と暮らしていたんです。でも日常の中で、ふとしたときにテレビに父が映ったりするんですよ。関西なのでCMにもよく出ていて。 

 父の記憶はないけど、認識はしていたので、一瞬、動きが止まるんですよね。それがちょっと、なんだろう……嫌でしたね。わたしにとって元々存在していなかった人だけど、「この人がお父さんなんだ」と思っていて、そういう人が自分の意識しないタイミングでテレビの中でいきなり爆笑してたりすると、「えっ……」って。大体、あの人って爆笑してるじゃないですか。上を向いて笑っている。「わたしは笑えない」と思ったり。ただ、母はわたしに父のことを悪く言ったことは一度もないので、「どんな人なんだろう?」とずっと思っていました。わたしのこと知ってるのかなとか。 

「お父さん、普段どんな人なの?」と聞かれても分からない

 幼稚園のとき、父が運動会をこっそり見に来たことがあります。サングラスをしていたんですけど、他の父兄さんにもサングラスをしている人がいたんですね。それで父は「なんであいつは芸能人じゃないのに、サングラスをしてるんだ」っていちゃもんを付けたらしいんですよ……。そうしたら「赤井英和や!」って騒ぎになって。「沙希ちゃんのお父さん、赤井英和なんだ」ってバレたんですよね。

「お父さん、普段どんな人なの?」とか聞かれても、うちにはいないからわからなくて。「赤井英和の娘として喋ったほうがいいのかな?」とか、生まれて4、5年しか経っていないのに気を使った覚えがあります。みんなが望む答えを言わなきゃいけないのかなとか。

 友だちが折り紙を渡してきて「サインもらってきて」と言われたときは、どうしよう、断ったらがっかりさせちゃうのかなと思って、家にあった『どついたるねん』という父のサイン本を真似て書いて渡しました。でも結局バレて、嘘つき呼ばわりされて。噓つき呼ばわりは、小学校に入ってもずっと続いていました。

 幼稚園が一緒の子がいたから、小学校でも知られてしまって。離婚しても名字が赤井のままだったので、余計にいまも一緒に住んでいると思われたんだと思います。子供に罪はないからということで、母が赤井のままにしたんですよね。

突然の父との再会

 小学校1、2年生のある日、母に「パパが京都に来るから遊びに行くよ」と言われたことがあります。わたし、ずっと髪が長くてサラサラだったんですけど、母の気分なのか、そのタイミングに限ってめっちゃ短かったんですよ。例えるなら元自衛官芸人のやす子ちゃんくらいのベリーショートでした。たまたまそのタイミングで父に会うことになって、わたしの中では父と初めて会う感覚だったので、「こんなに短い髪型で、恥ずかしいな」と思ったのを覚えています。

 嵐山に住んでいたので、「嵐山モンキーパーク」というサル山へ行くことになり、みんなで車で向かいました。わたしと姉は後ろで、父と母が前に座ったので、父の後ろ姿を見て不思議な感じがしました。

 サル山に着いたら、とにかくサルが怖かった! 野生のニホンザルは走り回っているので、めっちゃ怖いんです。わたしがピーナッツを持っていたらウワーッと集まってきて、父どころじゃなかったです。「サル、怖っ!」と思って。ピーナッツを渡そうとすると、サルがぶんどるんですよ。早く次くれって。サルとの思い出の方が色濃く残っていますね。

 ふと下のほうを見たら、片手のないちびっ子のサルがいました。でも大人のサルが怖くて、ピーナッツをあげられなかった。どうしようと思っていたら、父がその子の口元にピーナッツを運んであげたんですよね。わたしはそれをしてあげられなかったから、怖さよりも、「この人はこのちびちゃんをちゃんと見つけて、エサをあげてくれたんだ」っていう印象がすごく残っています。

「この人にとってわたしは子供じゃないんだ」と途方に暮れた出来事

 京都の四条大宮という駅で父とお別れすることになって、「なんだったんだろう、今日は」と思いました。べつにまた父と暮らすわけでもないんだなとか。母が車で帰ろうとしたら、駅の売店の陰から父が覗いてきて。隠れたと思ったら、ヒョコッと顔を出して、またバイバイしてきて、また隠れたと思ったら、またバイバイ。 

 わたしと姉はゲラゲラ笑って、「もう帰ったんちゃう?」「まだいた!」とか言って、何回も何回もやってくれて。車の中でずーっと笑っていました。

 いま思えば、あれは父が再婚するタイミングだったんです。

 わたしが9歳のとき、父が『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーになりました。べつに興味はなかったけど、「ちゃんと走り切れるのかな?」とか心のどこかで思ったりしていて。ゴールした瞬間、「やった! パパ、走り切ってよかった!」って思ったら、この感謝をだれに伝えたいか聞かれた父は、家族の名前を挙げたんですよね。わたしの名前はもちろん入っていなくて……。

「ああ、わたしにとってお父さんはこの人だけだけど、この人にとってわたしは子供じゃないんだ。でもわたしは日常に生きていて、これを見続けなきゃいけないんだ」と途方に暮れました。

(赤井 沙希/Webオリジナル(外部転載))

赤井沙希さん ©文藝春秋

(出典 news.nicovideo.jp)

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