認知症でも軽度なら運転可能…精神科医・和田秀樹が「『ボケたら免許返納』と簡単に言うな」と憤慨する理由 | ニコニコニュース
※本稿は、和田秀樹『80歳の超え方』(廣済堂出版)の一部を再編集したものです。
■世の中をはぐらかすぐらいの気持ちでいよう
高齢者の方に「ボケ」と言うのは、差別だということで使わないことが原則になりました。でも、ボケという言葉に侮蔑的な意味合いは本来ないと思っています。
漫才にもボケとツッコミがあります。ツッこむ頭の回転が速い人ばかりでは世の中疲れます。ボケとツッコミの両方あってこそ、漫才は面白いのです。
高齢者はボケるくらいがちょうどいい。人類のボケになって、世の中をはぐらかすぐらいの気持ちでいたいものです。
私も最近、人の名前が思い出せないことが多いです。友人と昔の映画の話をしていて、「あの映画だよ」「監督は、あれだな」「女優は……顔は思い出すのに名前が出てこない」というようなことがよくあります。
最後にはスマホで検索して、「これだよ」と納得します。そして「お互い、ボケたよな」と笑うのです。
年をとったら、切れ者、できる人からは降りましょう。少々、ボケているほうがかわいいと思います。
「ボケとは、なんだ。失礼ではないか」と怒る方もいらっしゃると思いますが、はっきり言うと威張る高齢者は嫌われ者になります。
ときどき、公共の場でも「けしからん」と怒っている高齢の男性を見かけることがあります。たぶん、かつては高い地位の役職についていて、いつもまわりが気をつかってくれていたのだろうな、と思います。
■自分に固執しているのは、不安の表れ
よく、地位の高い人が認知症になりやすく、農家の人や職人さんは認知症になりにくいなどといわれます。はっきりした統計はないのですが、これまで診てきた方を見ると、そういう傾向があるかもしれません。
地位の高い人のほうが定年後仕事を続けることが少なく、農家や職人の人は続けることが多いということが背景にあるのでしょうが、認知症になってからの進み方にも差があるようです。
威張る高齢者を見ると「おだやかにボケられない人は不幸」だと思います。こういう方は、自分の「老い」に目を背け、昔の自分を保とうとしているのですね。
そんなに自分に固執しているのは、不安の表れなのだと思います。不安だから虚勢をはっています。不安は脳の害悪です。
デイサービスへ行っても、「こんなことくだらん」と怒っている方がときどきいます。職員は気をつかってくれますが、利用者さんは誰も近寄りません。
あるデイサービスで、表具屋さんをしていた、手先が器用で折り紙や切り絵が上手な男性がいました。まわりの女性たちから大人気です。
その脇で、もと役所勤めのお偉いさんをしていた方はさびしくしていたとか。何も特技がなければせめてボケてみて、まわりの人と笑って話すというのが、脳の健康のためにはいいのです。
それでもデイサービスに行ってくれるだけましで、もともと地位の高かった人は、「あんなボケた人の行くところなど行けるか」などと言ってデイサービスに行きたがりません。
しかし、そういう生活を送るとよけいに認知症が進んでしまうのです。
高齢者になったら、上手にボケるということも大事にしていきたいものです。
■認知症になっても自分たちで暮らす人たち
ボケる話を書いていたら、ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を思い出しました。
ディレクターの信友直子さんがご両親の老老介護を記録した映画です。87歳の母が認知症になり、95歳の父が介護する。娘の直子さんは東京に住み働き、両親は広島に住んでいます。
この両親が実にいいのです。何より笑顔がいい。お母様は、きちんとした主婦であっただろうと思います。お父様はなかなかのインテリです。
ふたりが日々の生活をヘルパーさんの助けも借りながら紡いでいく。その中には、「なんでこうなるの」とふてくされる認知症の母や、がまんする父の姿も描かれている。
でも、どこかで「ぼけますから、よろしく」というユーモアのある夫婦の姿を見ると、こういう感じでお互い支え合って暮らしている人も多いのだろうと思います。
なかなか、こういう普通の生活を私たちは見ることがないので、ヒット作品になったのだと思っています。認知症といえば悲惨な家族介護というイメージがありますが、いろいろな助けを借りながら、自分たちらしく暮らしている方も多くいます。
■子どもに返るのも老いの特権
年をとると、子ども返りするといわれます。これも少し差別的な言い方だと思われるときがあります。高齢者にも尊厳がある、子ども扱いとは何ごとかというお叱りです。「おじいちゃん、おばあちゃん」と言わないで、名前を呼びなさいといわれています。
もちろん、「~ちゃん」と呼ぶような子ども扱いは、彼らの尊厳を傷つけますが、私は「子どもに返る」ことそのものはいいことだと思っています。
年をとると、実際にだんだんとケアされる立場になっていきます。いつまでも上から目線で人に指示する気持ちではいけません。「お願いします」という気持ちになっていってほしいものです。
小さいとき、風呂上がりに母に身体を拭いてもらい、天花粉をはたいてもらった記憶はありませんか。親にやさしく世話をうけたときは気持ちのいいものでした。
それから、少年少女になり大人になると、すべてに自立しなさいと教えられます。すると、自分のことは自分ですることが人間の尊厳のように思います。ですから、何かできなくなったら、「もう自分はダメだ」と嘆いて落ち込むのです。
■ラクして笑っていられるほうがいい
子ども返りして、自分を少しずつ人の手に任せてみるというのも大切なことです。
いまの世界では、あまりにも自立がうたわれて、介護の世界でも自立支援に重きをおきます。介護度が悪化しないように、自立した生活ができるように支援するわけです。
実は私もそう考えていました。歩けないより歩けるほうがいい。リハビリが大事であると。そんな私の母が油断して骨折してしまいました。リハビリで無事に歩けるようになってほっとしていたら、その後だんだん歩けなくなって、手押し車を使って外に出ていました。
便利なものを利用して外に出るというのは大事です。仕方ないかと思っていたら、その後、母はまた骨折して入院しました。いまは車いすも利用しています。
「なんだか車いすは楽でいいのよ」
と、笑っている母を見たら、もうリハビリしろとは言えなくなりました。ラクでいいじゃないか。ラクで万歳。つらいリハビリをするより、もう何年あるかわからない人生です。ラクして笑っていられるほうがいいと開き直りました。
車いすの生活になるということは、人の世話になる量が増えるということです。介護度が上がり、サービスを増やさないといけません。
でも、だんだんとみんなが子ども返りして、自分の世話を人にゆだねていくことを受け入れていく、本人だけではなく家族もその気持ちが必要だなと思いました。
■見栄やプライドを捨てて世の中を眺めてみる
子ども返りは、ケアの問題だけではなく、心の解放にもつながります。
少しずつ大人の責務から降りていくことです。見栄やプライドを捨てて世の中を眺めてみると、高齢者の目には新しい世界が広がることもあるようです。
俳句や川柳の世界では高齢者が面白いものをつくります。忙しかったときは空や花をじっくり見る暇もなかったでしょう。
高齢者となって、美しいものは美しいと世界を新鮮に見直してみる。これは子どもに返った精神だからできることです。
いつまでも凝り固まった大人の目しか持てないと、ボケも楽しめなくなります。
先に紹介した映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の続編も上映されているようです。お父さんは98歳になり、お母さんは脳梗塞で入院したそうです。まだ観ていませんが、このおふたりが最後の日々をどう閉じていくか見てみたい気がします。
■「ボケたら免許を返納」なんて簡単に言うな
なぜか、高齢者の交通事故はセンセーショナルなニュースになります。そうして、免許の自主返納キャンペーンが繰り広げられます。
実際には、交通事故のもっとも多い世代は24歳までの若い世代です。
高齢者の事故が目立つようになったのは、高齢者が増えたので仕方ないことですが、死亡事故でも、対人事故(人を撥ね殺す事故)は2割弱で、事故の4割は自爆というか、ものにぶつかって自分が亡くなる事故です。
免許を自主返納しても、都会では交通機関が網羅されていて困らないでしょうが、少し地方へ行くと車がないと生活に支障をきたす地域は多いのです。
親とは離れて暮らす子どもたちは、ニュースで高齢者の運転は危ないとすりこまれていきます。帰省すれば「おとうさん、免許は返納しなさい」「買い物はヘルパーさんに頼めばいいでしょう」などと言います。
ヘルパーさんと簡単に言いますが、まだまだ歩ける人は要支援にもならないかもしれません。自治体の独自サービスも限りがあります。地域のサービスに頼りきれないところがあるのが実情です。
車を取り上げられれば、買い物にも病院へも行けない。ゴミ出しにもサークルにも行けない。バスは廃止されているか、あっても日に2本。値段も高い。
まだ車の運転能力があるのに、一部の都会で事故を起こした高齢者のために、地方の高齢者の車を取り上げるのは憤慨していいことだと思います。
■必要なのは「ボケてきたな。気をつけよう」という自覚
私がいちばん心配するのは、免許を返納したあとの認知機能の衰えです。
国立長寿医療研究センターの調査では、運転をやめた高齢者は運転を続けている高齢者に比べ、8倍の要介護リスクがあるとされています。これは当然のことでしょう。
まったく世の中は、「自立した年寄りになれ」と言ったり、「運転しないでじっとしていろ」と言ったり、矛盾するメッセージを出してきます。
正直なところ、認知症が一定以上重症になれば運転ができなくなります。
その早目の対策は必要ですが、年齢で規制をかけることはないと考えています。また、認知症でも軽度であれば十分運転はできます。
少々ボケても、ボケなりに気をつけているものです。
必要なのは「ボケてきたな。気をつけよう」というあなたの自覚です。
免許の自主返納は、返納してから後悔しても遅い。よく考えてみましょう。
国も全国一律に返納を迫らないで、過疎地域などの実情も考慮して柔軟に考えてほしいものです。
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精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」
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