日本人の給料が上がらないのは「コスパ重視」のせい… 今こそ学ぶべき「ダイソンの扇風機」が4万円で売れる理由【経済コラムニストが警告】 | ニコニコニュース
「老後不安」という言葉が喧伝され「お金を増やすこと」がクローズアップされています。しかし他方で、日本人は「死ぬ時に一番お金を持っている」ともいわれます。シニア層のライフプランニング、資産運用等に詳しい経済コラムニストの大江英樹氏は、著書『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』(光文社新書)において、老後を豊かに生きるための「お金」についての考え方に一石を投じます。
日本の給料が上がらない理由
先日、『日本経済新聞』を読んでいると、次のような記事がありました。
記事のタイトルは「半導体技術者の求人、急増」というもので、昨今の半導体需給のひっ迫を背景に、製造各社が生産能力を高めようとしており、その影響で半導体技術者のニーズが増えてきているという内容でした。
この記事を読んでいて目にとまったのは、技術者の引き抜きに対して提示される報酬の額が、日本よりも海外の企業の方が、1~2割、場合によっては2倍近く高いということです。
この記事を読んだあと、実際に知り合いの半導体技術者に聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。
「私のような50代の中高年にも、今まで数十社からオファーが来ました。でも驚いたことに、日本企業に比べて海外からのオファーは、提示される報酬が3倍なのです」。
たしかにこれでは、日本の技術者が海外へ流出するのもやむを得ません。
残念ながら2000年以降、日本では給料が上がっていません。これを単にデフレの影響とだけで片付けてしまうのは、ちょっと違うと思います。私は給料が上がらなくなった、そして他の先進国に比べて生産性が高くならないのは、ある言葉のせいだと思っています。
「コスパがよい」ことが日本経済を低迷させている
その言葉は「コスパがよい」というフレーズです。いつ頃から使われるようになったのか定かではないのですが、今の世の中、「コスパ」という言葉が頻繁に使われています。
「この商品はコスパがよい」とか「このレストラン、コスパ最高!」といった表現がSNSでもよく出てきます。
説明するまでもないかもしれませんが、コスパというのは「コスト・パフォーマンス」の略で、日本語でいえば「費用対効果」といってよいでしょう。あるものを製造するために使った費用に対して、どれだけのリターンがあるのかを測る数字のことです。
元は英語ですが、実際にこの言葉は、欧米では製造業などにおける費用と便益の計算をするための経済用語として使われているだけで、日常ではほとんど使われることはありません。
ところが、いまやこのコスパという言葉は、もう和製英語といってもよいだろうと思います。なぜなら、我が国で使われている「コスパがよい」という表現は、値段の割に満足度が高いとか、お得感があるという感覚で使われているからです。
別の言い方をすれば、「よいものを安く」手に入れたり、味わったりできることを「コスパがよい」と言うのです。
でも私は、この言葉が、日本経済を長期にわたって低迷させている最大の原因だと思っています。
このように言うと、「え、コスパがよいことのどこが悪いの?」「よいものを安くというのは日本企業の技術力だし、よいことでしょう?」という人が多いと思います。
「コスパがよい」ことを求めると、際限ない地獄に陥ってしまう
たしかに「よいものを安く」買えるのであれば、それは消費者にとってはよいことに違いありません。でも我々生活者は、消費者としての一面もありますが、生産者、サービス提供者としての一面も持っています。
中世の貴族ではありませんから、遊んで暮らせる人などいません。誰もが働いて稼がないと、食べていくことができないのです。
いまや働く人の9割は給与所得者ですから、会社や役所に勤めて給料をもらっています。消費者の立場からすると、よいものを安く売ってもらえればうれしいので、その会社およびその製品には人気が集まります。
でもそれを実現するためには製造コストを下げなければなりません。その最も大きなしわ寄せが、働く人の給料に来ているのです。
したがって、「よいものを安く」「コスパのよいサービス」を求めれば求めるほど、それは「消費者としての自分」が「生産者・サービス提供者としての自分」の首を絞めることになってしまっているのです。
値上げしないことが美談になる困った風潮
特に昨今では、少し物価が上がるようになってきました。私は、これはとてもよいことだと思っています。
ところが、テレビのニュースなどを見ていると、「値上げせずに頑張っているお店」が紹介され、しかもそれが美談として取り上げられているケースをよく見かけます。
でも私は、こうした報道には強い違和感を覚えます。
考えてみてください、仮に2人の経営者がいるとします。彼らが自社の従業員に対してこんなことを言ったとしたら、どう思いますか。
・経営者A:材料費は値上がりしているけれど、当社は製品の値上げはしないことにした。だからみなさんの給料も上げることはできないけれど、我慢してほしい。
・経営者B:当社は製品を値上げすることにした。当然みなさんの給料も上げます。でも製品を値上げする以上は、今まで以上に品質と性能を向上させないといけません。だから一緒に頑張りましょう。
これ、誰が考えても「経営者B」の姿勢が正しいと思うのは当然ではないでしょうか。
結局、商品やサービスを購入する消費者も、それを提供する経営者も、「値上げをせず、コスパのよいものを求める」ということは、それを作ったり提供したりして第一線で働いている人の労働や付加価値を、低く見積もっているということなのです。
つまり働いている人に対するリスペクトの欠如ではないかと思うのです。
時代の変化で戦略を間違えた
「でもそんなことはないでしょう。だって日本は1990年代以前には、よいものを安く提供することで利益を上げてきたし、経済も大きくなったんじゃない? だからそのどこが悪いの?」こう考える人もいるでしょう。
でもそれは正しくありません。たしかに、1990年代までは「よいものを安く」というのは間違った戦略ではなかったのです。なぜなら、それまでは高度成長期で日本の人口は増えてきました。
世帯が増え、消費者も増えるということは、市場が拡大していくわけですから、放っておいてもものは売れやすく、売り上げは右肩上がりに拡大していきます。
ところが人口が減少し始め、電化製品をはじめとするさまざまなものが家庭にあふれるようになると、品物は売れなくなります。いわゆる供給過剰の状況が恒常的に生まれてくるのです。
この過程で、日本の経営者はいったい何をしたのでしょう? 本来、彼らがやるべきことは、製品の付加価値を高めて価格を引き上げるべきだったのに、それをせず、安くすれば売れるとばかりに安易に値下げを繰り返していったのです。
これは経営努力の放棄以外の何ものでもありません。
そうなると、給料が上がるはずはありません。製造業であれば、過剰供給分を輸出努力でカバーすることもできないことはありませんが、それができない国内サービス部門では、低賃金で過酷な労働を強いられることになってしまったということなのです。
もちろん、経営者ばかりを悪く言っても仕方ありません。我々消費者がひたすら「コスパのよいもの」を求め続けてきたことが、結局のところ経済が悪循環に入ってしまっている理由でもあります。
よいものやよいサービスについては、我々がそれに見合ったお金を出すことがとても大事です。「コスパがよい」のが最高と考えるのは、それを供給するために働いている人のことに思いが至っていないのではないでしょうか。
売れているものは、高くても売れている
それに、日本の技術力が極端に低下したというわけではありません。いやむしろ逆に、より高度なものを開発しようとすることが、市場を見えなくしてしまっている可能性だってあります。
この10年ほどの間にヒットした海外からの商品を考えてみてください。
日本ではスマホのシェアでは、アップルのiPhoneが70%近くと非常に高く、人気です。そのiPhoneの最新機種は、多くが10万円以上しています。でも製造原価は3分の1程度といわれています。
また、イギリスの家電メーカーであるダイソンの扇風機は、4万円ぐらいのものが珍しくありませんが、とても人気があります。一方国内メーカーの扇風機だと1万円前後、中には数千円のものもあります。
でも、扇風機は扇風機です。ただ風を送るだけの機械に、なぜ4万円ものお金を出すのでしょう。一言でいえば、オシャレだからです。デザインがカッコいいのです。
そしてそれは、スマホにおけるiPhoneも同じです。これだけテクノロジーが進んだ時代ですから、機能にそれほど決定的な差が出るわけではありません。
したがって、企業側が需要を喚起するような工夫、つまりテクノロジーだけでなく、消費者が魅力を感じるような工夫をした商品を提供していないという意味で、怠慢だということもあるでしょう。
しかしながら他方では、性能のよいものや優れたサービスに対しては適正なお金を払うという、我々消費者側の姿勢も大事なのではないかと思います。
昨今、円安に加え、ウクライナ紛争などの影響で原材料価格が上がっていることで、物価が上昇し始めています。でも私は、これを困ったことだとは考えていません。
少なくとも、長年にわたって「コスパ」だけを求め続け、ものを作ったり、サービスを提供したりする人のことに思いが至らず、ひたすらに金銭的価値だけを求め続けてきた我々が、「よいもの」や「よいサービス」に対しては正当な対価を支払うべきだということに気が付くチャンスだとすれば、それはむしろよいことだといっていいのではないでしょうか。
大江 英樹