■動画制作の副業から独立を実現
吉田久さん(仮名、38歳)は、今から5年前、映像関係の会社に勤めるかたわら、企業やYouTuberを相手に動画制作を手伝う副業を始めた。
最初こそお小遣い稼ぎのつもりだったが、仕事の依頼はだんだんと増えていく。週末の副業では時間が足りないと思った吉田さんは、35歳になったのを機に、一大決心をしてフリーランスの動画クリエイターとして独立を果たした。
その後、実績を積み重ねるにつれて吉田さんの収入は伸びていった。
独立初年度は退職金を取り崩しながらの生活だったが、3年目に知り合いを通じて大きな企業案件を獲得。年商1000万円の大台が見えてきた。
■「儲かった」と思ったら税金が…
“雇われない生き方”を実現できていることに満足し、「そのうちFIRE(経済的自立と早期リタイア)できるかも」と気持ちは高まっていくばかり。「独立して良かった」と吉田さんは心から感じていた。
ところが、吉田さんの興奮はすぐに冷めることになる。好条件の案件を受注したことをフリーランス仲間との忘年会で打ち明けたところ、「税金が結構大変になるぞ」と言われてしまったのだ。
吉田さんは税金に疎(うと)い。会社員時代に年末調整で税金の手続きを行っていたが、会社から言われるままに書類に記入するだけで、それ以上税金について深く考えることはなかった。
そんな吉田さんも、独立すると確定申告が必要になる。1月1日から12月31日までの売り上げや経費などを集計して、翌年の3月15日までに確定申告をする。吉田さんは、国税庁ホームページから利用できるシステムを使って申告書を作成した。
■12月に経費を使って「節税」を考える
吉田さんは、自分が申告した内容が正しいのか自信をもてなかったが、当時は売り上げが少なかったので、「ちょっとくらい間違えていても大丈夫だろう」と軽く考えていたのだ。
しかし今年は違う。このままでは税金が大変な金額になることを恐れた吉田さんは、「12月のうちに経費を使ったほうがいい」というフリーランス仲間の助言を実行に移すことにした。
師走の忙しい仕事の合間に、吉田さんはどうにかして経費を増やそうと考えていた。
税金のルールに疎いとはいえ、売り上げから経費を引いた利益に対して税金がかかることは知っている。売り上げを減らすか、経費を増やせば、税金が減るはずだ。
■素人がやりがちな経費の積み上げ
売り上げを少なめに申告しようかとも考えたが、後から脱税を指摘されるのは怖い。そこで吉田さんは、フリーランス仲間のアドバイスにしたがって次のとおり経費を増やすことにした。
②動画編集の仕事を手伝ってくれていた妻に、報酬として200万円を渡す。
③自宅で仕事をしているので、家賃や光熱費をすべて経費にする。
これらの経費を集計すると、500万円ほどになった。シミュレーションのために国税庁ホームページのシステムに数字を打ち込むと、納税額は50万円に満たない金額に収まりそうだ。
「節税って思ったより簡単だな」
そう思った吉田さんは、安心した気持ちで年を越した。
■突然の税務署からの電話
年が明けて確定申告を終えた吉田さんは、仕事やプライベートで忙しい毎日を送っていた。心配の種だった税金のことも、すでに頭から抜けている。
春が過ぎ、夏が過ぎ、日々の業務に追われ、確定申告のこともすっかり忘れかけた9月のある日、吉田さんの携帯電話に知らない電話番号からの着信履歴が残っていた。留守番電話を聞くと、税務署の職員だという。
嫌な予感がした吉田さんが、慌てて税務署に折り返しの電話をかけると、職員は「税務調査を行いたいので、3日間ほど時間を取ってほしい」と説明した。
吉田さんは断りたい気持ちを感じながらも、断る理由が思いつかない。そうして、1カ月後に吉田さんの税務調査が行われることになった。吉田さんは自宅の一部を仕事場にしているため、税務署の職員が自宅まで訪ねてくるという。
■やってきた税務署職員
調査当日の午前10時。チャイムが鳴ってドアを開けると、スーツ姿の2人の職員が立っていた。ベテラン職員と新人職員のペアという雰囲気だ。
まずは挨拶もそこそこに、リビングで雑談を交えて仕事内容など簡単な聞き取りが行われた。その流れで「それでは、帳簿を見せてください」と言われた吉田さんは、不安を感じながら領収書や請求書などをまとめたバインダーを手渡した。
職員がバインダーを見ている間は別の部屋で仕事をしていてもいいと言われたが、やはり手に付かない。時間がとても長く感じられる。
ときおり職員から「ここは自宅兼仕事場ということでよろしいですか?」「雑費として計上しているものは、具体的にどのようなものなのですか?」といった質問がなされ、その都度吉田さんはできる限り説明しようとした。
■駆け込み計上の経費がほぼNGに
そして迎えた調査最終日の午後3時過ぎ。
吉田さんは若い方の職員から「ちょっといいですか」と声をかけられた。ひととおり確認が終わったので説明したいという。最終的な調査結果の説明は後日あらためて行われるとのことだが、現時点で明らかな申告誤りについて説明がなされた。
その説明を聞くうちに、吉田さんは思わず「え!」と声を上げてしまう。
驚いたことに、なんと吉田さんが昨年末に払った経費のほぼすべてが認められなかった。さらにその前の年までの確定申告の内容からもさまざまな間違いを見つけられた。
■「どうしてだめなんですか?」
「だって、車やカメラは実際に仕事に使っていますし、妻に渡した200万円も正当な仕事の報酬ですよ。どうしてだめなんですか?」
そう吉田さんが反論すると、職員は一つひとつルールを説明し始めた。
まず、車代とカメラ代のような10万円以上の支払いには減価償却の計算が必要で、購入代金の一部しか経費にできないという。減価償却とは、建物や車など、長期間利用できる資産を、耐用年数に分割して経費にするというルールだ。
吉田さんが12月に購入した新車の耐用年数は6年(72カ月)だ。この車を吉田さんが前年に使用したのは1カ月だけだったので、購入費の72分の1しか経費として計上できない。カメラも耐用年数5年であるため、同様の計算を行う必要がある。
■次々否定される経費計上…
次に、妻に支払った200万円の報酬については、なんと1円も認められなかった。同一生計の家族の場合、給料や報酬を払っても経費としてカウントされないのが原則なのだ。
3つめの指摘は、経費にしていた家賃や光熱費。税務のルール上、家賃のように個人用と事業用を兼ねているものは「家事関連費」という扱いになる。こうした費用は、業務に関連する割合を計算して、一部だけが費用にできると職員は話す。
このほか、領収書やレシートがなく、きちんと使い道を説明できなかった支出のいくつかも、経費としては認められなかった。
■修正申告、納税できなければ差し押さえ
税務調査が終わり、吉田さんは確定申告のやり直しとして修正申告を行うことになった。
ところが問題はこれで終わらない。修正申告にともない、申告漏れの税金に加え、ペナルティーとして加算税や延滞税が科せられることになったのだが、吉田さんの手元には納税するためのお金がなかったのだ。確定申告で節税できたと思い込んだ吉田さんは、残っていた現金を生活費や仕事のためにかなり使ってしまっていた。
そのことを税務署の担当者に伝えたところ、滞納が長引くほど延滞税が加算されるという。さらに、滞納が長引けば、車などが差し押さえられる可能性があると聞き、吉田さんは頭を抱えた。
税金を納めるために急いでお金を稼がなければいけない。しかし、吉田さんは税金の不安から仕事が手につかない状態になっていった。
あらためてフリーランスの厳しさを痛感し、吉田さんの頭には「廃業」の二文字がよぎる。しかし、滞納した税金は廃業や自己破産をしても免除されない。出口の見えない状況に、吉田さんは頭を抱えるほかなかった。
■新車ではなく中古車を買うべき理由
吉田さんが危機的な状況に置かれたそもそもの原因は、税金のルールをきちんと確認せず、しかも税務調査が来ないと油断していた点にある。
税務調査といえば会社に対して実施されるものというイメージをもたれやすいが、個人事業者に対する調査も実施されている。吉田さんのように、売り上げ金額が伸びているにもかかわらず極端に利益が少ない場合は、調査の対象になりやすい。
では、吉田さんは最初から節税を諦めるべきだったのかというと、そうではない。きちんとした方法で節税に取り組めば、吉田さんは合法的に税負担を下げられたはずだ。
たとえば、車などの物品を購入するときは、「中古品を買う」ことが効果的である。よく、「4年落ちのベンツを買えば節税になる」と言われるが、その理由がここにある。減価償却で用いる耐用年数は、中古のものを買うと短縮されるのだ。
普通車の場合、新車なら耐用年数は6年だが、4年落ちの中古車なら2年に短縮される。耐用年数が短くなれば、それだけ購入した年に計上できる経費が増えるため、その年の納税額が少なくなる。
■青色申告で税額が大幅にダウン
「青色申告」というルールを活用することも有効だ。あらかじめ届け出をして青色申告の承認を受けることで、「少額減価償却の特例」を利用できる。
この特例は、30万円以内の資産を買うとき、年間300万円を限度に一括で経費計上できるというものだ。吉田さんのカメラは25万円なので、特例を使っていれば全額を経費にすることができていた。
青色申告のメリットはほかにもある。たとえば所得金額から最大65万円を差し引ける青色申告特別控除。これだけで経費を65万円増やしたのと同じ効果を得られる。
家族に仕事を手伝ってもらうなら「青色事業専従者」のルールが有効だ。事前に届け出を行うなどの条件を満たせば、家族に給料を払い、これを全額経費にすることができる。吉田さんが妻に払ったお金も、このルールを活用すれば経費として認められたかもしれない。
■税金に無知な人が多すぎる
今回の吉田さんのケースは、税金に対する知識不足が招いた結果にほかならない。法律で認められている節税方法は数多くあるが、その大半は事前の準備が欠かせない。
筆者は東京国税局を退職し、フリーランスとして活動している。フリーランスの人々と接するようになって知ったのは、あまりにも税金のルールが知られていないということだ。
明らかに経費になるのに見落としている人。逆に、税務調査を受ければ確実に否認されるような経費を堂々と計上していると豪語する人。私が見聞きした状況はさまざまだが、問題は根深い。
■「儲かったから節税を考える」では遅い
「税金のことを真剣に考え始めるのは、儲かった後でいい」という人が少なくないが、これでは遅すぎる。「儲かったから節税」ではなく、「節税の備えをしてから儲ける」のが正しい順序なのだ。
経費に関する基本的なルールを理解し、正しい節税に取り組みたい方は、拙著『あんな経費まで!領収書のズルい落とし方がわかる本』(宝島社)をぜひお読みいただければと思う。
実践的なルールを網羅しつつ、四択クイズなどを取り入れているため、“経費判定のセンス”を育てることができるだろう。
----------
フリーライター
国税局の国税専門官、都内の税務署、東京国税局、東京国税不服審判所に勤務。2017年、金融関係のフリーライターに転身。著書に『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)、『あんな経費まで! 領収書のズルい落とし方がわかる本』(宝島社)などがある。
----------