結婚生活で重要なのは愛とお金、どっち?…「愛を求める男、金を求める女」という日本の残酷な現実
■既婚と未婚でまったく違う回答に
「結婚生活は愛か? お金か? どちらが重要か?」
そんな問いに対して実際の既婚男女はどう考えているでしょうか。もちろん、そんな簡単にどちらか一方であると断じることはできません。しかし、あえて、どちらか一方しか選べないとしたら? という前提で、私のラボでは、1都3県20~50代の既婚男女を対象に調査をしたことがあります。
既婚男性25% 既婚女性31%
「結婚生活は金だ」
既婚男性24% 既婚女性27%
既婚男女とも「愛」のほうが多少上回っていますが、双方とも約3割でほぼ同等と見ていいでしょう。男女で比較すると、女性のほうが男性より「愛」も多いが「金」も多いという結果でした。
ちなみに、同様の質問を20~50代の未婚男女に対しても行っていますが、既婚男女とは大きく様相が変わります。
未婚男性28% 未婚女性21%
「結婚生活は金だ」
未婚男性25% 未婚女性45%
■愛を求める男、金を求める女
未婚男性が「愛」も「金」も約3割弱で既婚者とほぼ変わらないのに対して、未婚女性の方は「金」が45%と半数近くを占めます。つまり、未婚男女においては結婚に対する考え方が相反しており、「愛を求める男と金を求める女」という構図があります。これではなかなかマッチングしないというのも当然なのでしょう。
別の見方をすれば、未婚と既婚の女性の「金」の割合の差分は未婚女性のほうがプラス18%ポイントとなっています。ちなみに、2020年時点での女性の生涯未婚率(50歳時未婚率)は17.8%です。奇(く)しくも、「結婚は金だ」という考え方の女性のうちの約18%が生涯未婚のまま50歳を迎えているという解釈もできます。
こう書くと「金のことばかりいう強欲な女性が結婚できないのだ」と思ってしまいがちですが、現実的に結婚生活に金が必要であることは明らかです。女性のほうがリアリストであるということでもありますし、もうひとつ見落としてはいけない背景には、相手の未婚男性の所得が30年間全然あがっていないという現実もあるでしょう。
1980年代までの皆婚時代はあえて「金」の心配などしなくても、10年後、20年後にはこれくらいの給料を得られるという安心感がありました。今はそうではありません。
■「結婚は愛」派の男女は年収別で大きな差が
以前の記事(〈結婚と出産は「高所得層の特権」になった…日本の少子化を深刻化させる「世帯年収600万円の壁」の分厚さ〉参照)でも書いたように、現代において児童のいる世帯というのは、ある程度の世帯年収以上だけが増えていて、かつて子育て世帯のボリューム層だった中間層世帯は大きく減少しています。つまるところ「結婚も出産もある程度の金の余裕のある者」だけしかできなくなりつつあるということでもあります。
冒頭の既婚男女の調査結果は全体の合計ですが、それぞれの年収によってもその答えは変わってくるでしょう。図表1・2に、世帯年収別に「愛か、金か」の割合をもとめたものを掲出します。
既婚男女で明らかに違うのは、「金」と答えている男女は年収別にみてもそれほど大きな差はない(1500万円以上の世帯年収の男性だけ突出して「金」割合が高いですが)のに対して、「愛」と答えている既婚男女では年収別に大きな差があります。
既婚男性は年収が高くなればなるほど「愛」という意識が低下し、逆に既婚女性は年収が高ければ高いほど「愛」と答えており、特に1500万円以上の世帯年収の女性の割合が最高値の47%にもなります。
■まさに「貧すれば愛も鈍する」
これを「お金のことに執着するような女性より、愛で結婚した女性のほうが結果的に高年収を得られているのだ」と解釈することもできますが、違う見方もできます。
高い世帯年収という安定した状態にあるからこそ心にも余裕ができ、心の余裕が夫や家族に対する思いやりとして表出している場合もあります。つまり、「衣食足りて礼節を知る」と同じで、「経済環境が充足しているからこそ愛という余裕がある」のではないかとも思うわけです。
実際、世帯年収400万円未満の場合、既婚女性の「愛」という割合は男性より低い。まさに「貧すれば愛も鈍する」のです。「お金がなくても愛があればなんとかなるよね」を信じたいのは男性のほうであって、「愛は金の土台があってこそだ」というのが既婚女性の本音なのでしょう。
既婚男性が、世帯年収が増えれば増えるほど「愛」から「金」の割合が高まっていくのも、こう解釈することができます。
お金を稼ぐようになれば妻は機嫌がよくなるし、家族のためにと少ない小遣いに文句も言わずに頑張るのだが、どこまで稼いでも住居費のことや子どもの教育費など必要なコストはあがるばかりという現実に直面するわけです。
そうすると、いつのまにか「家族への愛とはお金の額でしか評価されない」という意識にもなり、「結局結婚とは金なのだな」と達観するようになってしまうのかもしれません。それが1500万円以上の世帯年収の既婚男性がもっとも「金」割合が高くなっていることの表れでしょう。
■未婚女性は圧倒的に「金、金、金」
ここで比較のために、未婚男女の年収別意識の違いを見てみましょう。未婚男女の場合は、世帯年収ではなく個人年収となります。
清々しいまでに、未婚女性の「金だ、結婚は金なんだよ」という意識の高さが目立ちます。個人年収600万円までの未婚女性の「金」重視意識は40%を大きく超え、「愛」の割合のほぼ倍以上です。
未婚女性の「愛」の割合が高まるのは、個人年収800万円を超えたあたりですが、なかなか20代でその年収に達する人も少ないでしょうし、年代別の推移を考えれば、20~30代まで「結婚は金だ」と思いつつ、気が付いたら40代以上に達し、確かに自分の稼ぎはあがったものの「やっぱり結婚は愛だったんじゃないか」と思うようになった女性もいるかもしれません。
一方、未婚男性は、個人年収300万~600万円の中間層がもっとも「愛」意識が高いわけですが、これも未婚のまま年収が高くなればなるほど「やっぱり結婚は愛じゃないんだな」とわかってくるような推移を辿ります。
■「愛は贅沢な消費」と考えざるを得なくなっている
とはいえ、実態として、2000年以降の初婚男女の年収帯を見ても、300万~400万円台で結婚している例がもっとも多く、婚姻はそれら若者としての中間所得層によって支えられていたわけですが、2016年以降、その中間層の婚姻数が大幅に減っていることも確かです。
言い換えれば、500万円以上の所得層の未婚者の婚姻数は実数として減ってはいないが、絶対数の多いこれら中間層の若者が結婚できなくなっているがために、婚姻数が激減しているのです。
「愛はお金では買えない」というのはその通りでしょうが、「愛ではお金にはなりません」し、「愛さえあればお金などいらない」というわけにもいきません。お金がなければ生きていけないこともまた現実です。
かつて、結婚は「生産」機能でもありました。「一人口は食えねど二人口なら食える」といわれたように、貧しくても夫婦協力して生産にあたり、合理的に生きていける術でもあり、子どもを産むことも労働力の生産のひとつでもありました。
しかし、現代では結婚は「消費」と化しています。しかも、コストのかかる「贅沢な消費」であり、ある程度裕福でなければ手の届かないブランド品的なものになっています。愛もまた、贅沢な消費を通してしか得られないものになっていくのでしょうか?
結婚をそういうコストだとか消費だとか考えるから結婚できないのだという意見もあるでしょうが、多くの中間層以下の若者がそう考えざるを得ない経済環境に置かれているという事実も忘れてはならないでしょう。
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コラムニスト・独身研究家
ソロ社会論及び非婚化する独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。海外からも注目を集めている。著書に『「居場所がない」人たち 超ソロ社会における幸福のコミュニティ論』(小学館新書)、『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』(ぱる出版)、『結婚滅亡』(あさ出版)、『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『超ソロ社会』(PHP新書)、『結婚しない男たち』(ディスカヴァー携書)、『「一人で生きる」が当たり前になる社会』(中野信子共著・ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。
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