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「年収」500万円から700万円に上がった55歳。タイに渡り、「体感的に年収が倍増した感覚」

年収が500万円から700万円にアップした55歳。タイに渡って「体感的には年収が倍増した感覚」

バブル経済が崩壊した1990年代以降、日本人の平均年収は「400万円台」から30年間ほぼ変わっていない。しかし、自身の“市場価値”を把握し、世界を相手に適正年収で働く日本人も存在する。果たして、我々日本人の値段とは――。

◆日本で早期退職し、タイの企業に転職

適正年収を華麗にジャンプアップすることが叶わなくとも、物価が安い国を舞台にすれば、QOLを基準にした体感年収を倍以上にすることも可能だ。

6年前、日本企業と現地メーカーの合弁会社に現地採用された清村良和さん(仮名・55歳)もその一人。清村さんの前職は、社員50人ほどの金属加工会社。

高校卒業後、工場作業員として約30年間働いていたが業績悪化に伴い規模縮小となり、早期退職者募集に応募したそうだ。

バツイチで独り身でしたし、養育費を払っていた息子もすでに成人していました。実は、タイに転職した工業高校時代の友人がいて、以前からそいつに話を聞いていたんです。それで南の国でのんびり暮らすのも悪くないなって」

◆タイで需要のある日本人技術者

ちなみにタイでは日本人技術者の需要があり、営業や事務などホワイトカラーの仕事よりも好条件のものが多い。前職では年収500万円だったが、それを上回る条件の求人が簡単に見つかったという。

日本人向けの現地採用の求人情報サイトがいくつかあり、なかでも技術者系の求人で多かったのが若い作業員たちを監督・指導する現場マネジャー

前の会社では上の人間から嫌われていて主任止まりだったけど、似たような仕事はやっていたからこれならやれそうだと思ったんです」

◆年収が500万円から700万円にアップ

清村さんは金型や旋盤など複数の1級技能士の資格を所持。彼くらいのキャリアがある人間であれば珍しいことではないが、採用された今の会社からは思った以上の好条件を提示されたという。

「年収は165万バーツ(当時のレートで約560万円)でしたが、これとは別にプールとジムつきのコンドミニアムを家賃会社負担で用意してくれました。

今は年収が175万バーツに増え、現在のレートに換算すると700万円になります」

◆英語があまり話せなくても困らない

言葉は渡航前に英語で最低限コミュニケーションを取れる程度には勉強したが、工場には日本人社員や日本語を話せる作業員もおり、そこまで困ることはなかったそうだ。

「今住んでるシラチャという港町は郊外には日系の工業団地があり、人口に占める日本人の割合は世界一。遊び友達には困りません。日本食レストラン居酒屋は街の至るところにあるし、ゴルフ場も近い。

物価格差や円安の影響で体感的には年収が倍増したような感覚。ここに来て本当に正解だったと思います」

自身の提供できる能力を最大限に生かせる場を正確に摑むことで、「日本人の値段」は最大化するのだ。

取材・文/週刊SPA!編集部

―[日本人の値段]―
自宅のあるシラチャや隣接するパタヤには日本人が多く住んでおり、「この年になって新しい友達が増えました(笑)」と清村良和さん(仮名・55歳)

(出典 news.nicovideo.jp)

通りすがり 通りすがり

そんなに日本が嫌いならSPAはさっさとタイでもフィンランドでも好きな国に会社ごと移住しろよ

名無しさん 名無しさん

政治家や経営者みたいに誰でもやれるような仕事ばかり持ち上げて多額の給与払って技術者ないがしろにしてるんだから、そりゃ海外流出が止まるわけないだろ、あと何十年後かには本当に何も残らない国になってそうだな

memori memori

いいんじゃない、タイは屈指の親日国だし。頭のおかしな反日国に行くハメになったら肩身の狭い思いをしなきゃならないしな

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