住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎日聴いていた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「かなりのアナログ人間で、スマホやパソコンで音楽をダウンロードする方法とかよくわからないんです(笑)。音楽配信サービスは便利そうだし、アプリが薦めてくれる曲も新しい発見があって楽しそうですが、自分でしっかり選んだ1枚を聴くという方法が身についてしまって……。だから、いまだに車の中ではCDで音楽を聴いています。研ナオコさんのベスト盤、松田聖子さんの名盤などを、そのときの気分で入れ替えているのですが、常にセットしているのが大黒摩季さんの曲。これがあれば、渋滞も怖くありません」
こう語るのは、タレントの中山エミリさん(44)。小学生当時をこう振り返る。
「小学校低学年のときは聖子ちゃん、明菜ちゃんが好きで、フワフワ、キラキラした衣装を見るのが好きでした。当時は歌番組も多くて、内容も斬新。『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)では、大きな円形のセットで、マッチが360度回転するバイクに乗りながら歌っていた演出に衝撃を受けました。新幹線の途中下車駅で歌って、また慌てて新幹線に乗り込むという場面など、歌だけでなくショー的な要素も楽しみの一つでした」
「光GENJIの影響でローラースケートが欲しいと親におねだりしたのですが、買ってもらえたのは、靴とローラーが一体型になったおしゃれなものではなく、ローラー部分を普通の靴の底にバンドで装着するタイプ。不安定ですぐに外れそうになるのですが、シャーシャーと音を鳴らしながら滑って遊んでいました。テレビをつければアイドルがとにかくたくさんいた時代。小・中学生時代はWinkファンも多かったですね」
音楽を聴くのは好きだったが、年代的にレコードを買ったことはないという。
「雑誌の付録についていた『宇宙刑事ギャバン』(’82~’83年・テレビ朝日系)のソノシートが、唯一の“レコード”。小6のときに初めて地元のディスカウントストア『ダイクマ』で買ったCDは、来日して話題になっていたマドンナの『ヴォーグ』(’90年)だったと思います。“洋楽を買っている自分”がカッコいいという気持ちもありました」
中学に入ると、そのマドンナやマイケル・ジャクソンなど、相次ぐスターの来日コンサートを生で見るチャンスに恵まれた。
「親戚がプラチナチケットを入手できたので『うん、じゃあ見に行く』という軽い感じ(笑)。今ならぜいたくなことだとわかりますが、当時はそのありがたみがわかっていませんでした。英語ができないから、マドンナが何を言っているのかもわからないし、歌詞の意味もまだ理解できない年齢。でも、やっぱり感動するし、ライブに魅せられました」
■大黒摩季はウイットに富んだ視点や爽快感が魅力
芸能プロダクションにスカウトされたのは、’93年、中学3年生のとき。修学旅行を控え、友人と髪をカットしに行ったときのできごとだった。
「渋谷・宇田川町の交番前で芸能事務所の人に声をかけられて。アイドルのフリフリとした衣装に憧れはありましたが、歌やお芝居を勉強して芸能人になりたいなんていう強い思いはまったくありませんでした。それでも熱心に誘ってくれたんです。“失敗したら大学を目指せばいい”。まだ中学生だったからいくらでも軌道修正できると思って、飛び込みました」
そんな人生の転機に知ったのが、大黒摩季だった。
「初めて聴いた曲は、アニメ『SLAM DUNK』(’93~’96年・テレビ朝日系)のエンディング『あなただけ見つめてる』(’93年)。それから少し大人になって自分でCDが買えるようになると、リリースに合わせて新譜をチェックしたり、遡って過去の作品を買い求めたり。歌詞の意味がわかるようになり、ますます惹かれていきました。『夏が来る』(’94年)は、白馬に乗った王子様がいつか自分を迎えに来るなんて妄想していても、結局選ばれるのは、すぐに『え~、わかんな~い』とか言いそうな何もできないお嬢様という内容で、深く共感しました。ウイットに富んだ視点や、爽快感も魅力。誰かに依存するよりも、自分一人で強く生きる女性がイメージされる歌詞と力強い歌声が重なって、私の中では大黒摩季=カッコいい女性です。『ら・ら・ら』(’95年)も好きで、コロナ禍では自粛していたカラオケに行きたくなります」
「やっぱり『どんなときも。』(’91年)からかな。言葉のチョイスが絶妙で、『冬がはじまるよ』(’91年)を聴くと、自然に雪の舞う冬の景色が浮かび上がるなど、神奈川生まれの私が知らなかった体験をした気分。それに何といっても、マッキーさんの声は独特で、とにかく癒されます」
一方、『ヤングマガジン』の表紙グラビアから芸能の仕事を始めた中山さんは、『おれはO型・牡羊座』(’94年・日本テレビ系)でドラマデビュー。バラエティ番組の仕事も増えていった。
「どこの仕事現場に行っても新しいことの連続で、目の前の仕事を一つ一つ、なんとか乗り越える毎日でした」
中山さんの新人時代は、’80年代から始まったバブル経済がすでに弾けていたものの、テレビ業界はまだまだ元気で、“とにかく前に進もう”という勢いがあった。
「まわりの勢いについていくことで必死。疲れたときは、まずはマッキーさんの曲に癒され、それから大黒摩季さんの曲でお尻をたたいてもらっていました。毎日必死だった’90年代に聴いていた曲を、今ではBGMとして特別じゃない雰囲気で聴いたりしています。こうした曲たちは、私のDNAにしっかり刻まれていて、おばさんになった今でも、元気づけてくれたり、テンションを上げてくれたりするんです」
【PROFILE】
中山エミリ
’78年、神奈川県生まれ。’94年のドラマデビュー後、’96年には歌手としてもデビュー。バラエティ番組でも活躍し、’00年代には『速報!歌の大辞テン!!』など、多くの人気番組の司会も務めた。’10年にプロライフセーバーの飯沼誠司と結婚、’15年に長女を出産した