なぜ「有能な若手」は「無能な上司」に変わるのか…JTCで「無意味な仕事」が無限増殖していく根本原因 | ニコニコニュース
※本稿は、岩尾俊兵『世界は経営でできている』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
■誰も「何のための仕事か」分かっていない
世の中の九割九分九厘の人は仕事をしていない。
その筆頭はもちろん私である。
正確には人間の労力や時間のほとんどは、一応「仕事」という名前がついているだけの、何のために/誰のためにあるのかよくわからない無意味な「作業」ないし「運動」で費やされている。
たとえばエクセルを開いて、閉じて、開いて、閉じてという指先ラジオ体操で今日の貴重な一日を終えた人は日本だけでも百万人以上いるだろう。
もしかしたらこうした時間の無駄に耐えられず、「こんな仕事、意味あるんですか」という禁句を発して上司に食ってかかった人もいるかもしれない。
こうした状況において、大抵の場合、上司は「規則だ」とぶっきらぼうに返事するだけだろう。というより上司だって、役員だって、取引先だって、意味不明な仕事を会社に強制してきた規制当局だって、誰も「その仕事が何のために必要なのか」も分かっていないのだからそう返答するしかない。
■「本当の仕事」をしない会社はあっという間に傾く
いつだってある日突然に「○○(不思議なことに大抵はカタカナ語かアルファベットを用いた略語)対応」が会社や社会で(会社を反対にすると社会なので似たようなものだ)一大イベントとなる。
書店には「○○対応必携」「○○実務ハンドブック」などが並びお祭り騒ぎ。経理/法務/総務/人事といった普段は控えめな部署も水を得た魚、カタカナ語を得たコンサル、とばかりに八面六臂(ろっぴ)の大活躍。そして「××社流、戦略○○」というお題目が決まり役員一同ウットリ惚れ惚れというわけだ。
そこからはもう無駄な書類のオンパレードだ。
従業員にも、出入り業者にも、お得意先にも○○対応のために無駄な時間を使わせる。そうして従業員の不満と出入り業者の不興とお得意先の怒りを買う。会社は何かを売って成立するはずだが、こう「買って」ばかりだとあっという間に傾く。本当の仕事をしていないのだから当たり前である。
本当の仕事は(消費者だけではなく、取引先や上司、社内の別部署など広義の)顧客を生み出し顧客を満足に/幸せにして、その対価として顧客が喜んで報酬を支払ってくれるようにすることだ。それができなければ、やがては組織を維持するためにかかる費用を捻出する原資がなくなる。
■顧客不在の仕事は「運動」にすぎない
顧客を広い意味でとらえれば、経理/法務/総務/人事といった一見すると顧客を持たないように思われがちな部署もまた、社内の別部署や役員会などを顧客として仕事をしている。
会社で働く個々人も、目の前のお客様、上司、同僚などなど、どのような仕事でも顧客を想定できるはずである。というより、どうみても顧客がいない仕事は「エクセル開閉体操的な何か」でしかありえない。
多くの人が「仕事に行きたくない」「働いたら負け」と愚痴をこぼすのは内実としてはこの「無意味な作業」に対してであり、創造的な仕事が嫌いだという人は少数派だろう。
そうでなければ、なぜこうした人たちが休みの日にスポーツや芸術といった「創造的な仕事」に(自分でお金を払ってまで)従事するのか説明がつかない。運動音痴を長年いじられ続けてきた私などスポーツは観るのもやるのも無意味な会議以上の苦行でしかない。
だとすれば「仕事という名前がついているだけの何か」を減らし「真の意味での創造的な仕事」の割合を増やせば、驚くべきことに(しかし論理と割り算さえわかれば誰でも理解できるとおり)、「世の中に提供できる付加価値が増加しつつ仕事も楽しくなる」というパラダイス的/ご都合主義的すぎて疑いたくなるような状況が得られるわけだ。
■「精神追い詰めプロレス」は求められていない
だが現実の会社生活・社会生活においてこれに気が付かない人があまりにも多い。
だからこそ、もう終わってしまったことを責めるためだけの会議のような、無意味の極致に手を染めてしまう。
たとえばあなたが課長だとして「課に入ってきた新人が、営業先で出来の悪い提案をしてしまって顧客の信頼を失った」という場合を考えてみよう。このとき「なんでこんな低レベルな資料をお客様に見せたんだ」などと怒ったところで事態が好転することはない。
こうした状況で「緊急会議」と称して課員を集合させて、ついでに部長・局長・お局(つぼね)様といった上長まで呼んでみたりして、みんなで資料不出来新人を吊し上げてみたところで、あるいは部長・局長・お局様と一緒に「最近の子は、ねえ」と愚痴ったところで、そこに顧客は不在なのだから顧客の信頼が取り戻せるわけがない。
なにくそ、それなら、とばかり、あろうことか顧客の前で新人を叱る場合もある。
この場合は相手がよっぽど特殊な趣味を持った顧客でないかぎり、顧客からすればどうでもいい茶番劇に付き合わされたわけで怒りを増幅させるだけだ。顧客が必要としているのは満足できる製品・サービスの提案であって、精神追い詰めプロレス大会ではない。
■「飲んだら乗るな」「スピード出しすぎ注意」が必要
もちろん新人に対して社会人の自覚を持たせるための叱咤(しった)激励は必要だ。
だがそれは「三手目」でいい。一手目はとにかく顧客の信頼を回復する策を練ることだ。二手目はこうした事態が起こった要因の分析と、営業活動が上手い課員の成功要素を抽出して他の課員(特に新人)と共有することである。
そうした対策を練らないと何度も同じ失敗を繰り返すだけだ。たとえば、自動車の運転においても、「事故を起こすな」という標語は何の意味もない。「飲んだら乗るな」「スピード出しすぎ注意」といった事故原因の分析に基づいた対策標語こそが必要となる。仕事もこれと同じことだ。
それどころか、変えられない過去を責め続けると、次から失敗は巧妙に隠されるようになる。失敗は上司が気付いたときには取り返しがつかないほどに肥大化するようになる。
ここまで読んで、自分もこれまで仕事ではない何かを作りだしてきたかもしれないと気まずさを覚える人もいるだろう。その何倍もこうした何かに苦しめられてきた苦い記憶を思い出した方も多いだろう。
■「人は無能になる職階にまで出世する」という法則
残念なことに、むしろ無意味な何かを生み出すことを仕事だと思っていたり、恐ろしいことにこれこそが経営だと思っていたりする人もいる。
なぜここまで会社には真の意味での仕事/価値を創り出す「経営」をおこなっている上司がいないのだろうか。その一つの理由は、次に示すような「人は無能になる職階にまで出世する」という数理的に証明できる法則があるためである。
条件2:ある職階において最も成績が良かったものがより上位の職階に就く(成績が悪い場合にも降格・解雇はされない)と仮定する。
条件3:複数の職階において求められる能力はそれぞれ異なると仮定する。
条件4:個々人が持つ能力値はランダムに割り振られ、異なる能力間に相関関係はないと仮定する。
これらは特に現代の官僚制組織ではありそうな状況だろう。
■会社の上層部が「無能だらけ」になるワケ
さてこの四つの仮定が揃うとどうなるか。
まず特定の職階で優秀だったものが次の職階でも優秀である確率は低い。ただし上位階層のポストの数は少ないのでこれ自体はあまり問題でもない。問題なのは、確率論的にいって「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」が多数いるということだ。
彼らは新しい職階では評価されないため、さらに上位の職階に進まずに適性のない職階にとどまることになる。こうしたことがあらゆる職階で起こると組織の上層部は無能だらけになるわけである。
数理的にいっても職階の数が多い組織ほどこうなる。ただしこれはあくまで先ほどの四つの条件が揃った場合であり、現実の健全な組織はこうした罠に陥らないように四条件のうち一つ以上を回避する手を打っているはずである(たとえば、組織で働くすべての人が本書を読むことで普段の仕事を経営視点で捉えるようになることでも、条件3・4の仮定は簡単に崩れる)。
といって仕事における喜劇の数々に苦笑しているばかりではいけない。
上司が無能だと笑うのは簡単だが現実はそう単純でもない。おそらくすべての人が大なり小なりこうした無意味な仕事もどきを作りだしている。本当の責任はすべての人にある。
■「チェックされない書類」が生まれる仕組み
たとえば我々はときどき自分の仕事に必要な製品・サービスを利用するために最も安い業者を探して外注したりする。「△△ 激安」と検索してみてインターネット上で最安値を見つけるのに血眼になる。しかし、その激安品によって節約される経費よりも検索に使った時間分の給料の方が高かったりする。
それどころか「安かろう、悪かろう」「安物買いの銭失い」とはよく言ったもので激安品はやはりそれなりに低品質で仕事の役に立たなかったりする。そうするとこの時間とお金は丸ごと無駄になるわけだ。
ほかにも事務における書類のチェックや、工場や建設をはじめとした現場仕事における検査においても、我々は大して見てもいないのに指差し呼称をしながら「ヨシ」などということもある。「大丈夫、前の人も見てるんだし」という具合だ。
残念ながら人間はみんな似たり寄ったりだ。前の人もまた「大丈夫、後ろの人も見てるんだし」となるのは当然だろう。こうして誰にもチェックされない書類や造形物が出来上がる。
■なぜ打ち合わせの「無間地獄」に陥るのか
逆説的だがこれらが例の「仕事ではない何か」のために作られたものなら被害はまだ少ないかもしれない。顧客がおらず欠陥に誰も気づきようがないためだ(不幸なことに造形物にもこうしたものが存在する。特に税金を投入された大規模な建物の約半分はこの類である)。しかし顧客が存在する製品・サービスでこれをやると大変なリスクとなる。
また、我々は仕事が納期に間に合わなそうになると応援人員を呼ぶ。もちろんそれ自体は必要だ。だが、えてして我々はこうした状況において「人は多ければ多いほどいい」と錯覚する。そして増えすぎた応援人員に仕事の進め方を説明するうちに日が暮れていく。
さらには、こうした応援人員はまだ仕事に慣れていないため少なくとも当初は十分な量と質の成果物を出せないことが多い。
そのため我々は不安に陥り、成果物の定義を確認するための打ち合わせを乱発するようになる。しかし打ち合わせによって本来の仕事に必要な時間は失われている。そのため成果物は我々にとって満足いくものにならない。仕方なく打ち合わせの数をさらに増やす……という無間(むげん)地獄に陥る。
■仕事に携わるすべての人が「経営の当事者」
すぐにマニュアルを作ってしまうというのも考えものだ。我々はマニュアルを作ったり、フローチャートを描いてみたり、ワークフローを確認してみたりすることで、仕事が終わったと早合点しがちである。だが冷静に現場を見回してみると、それらを作成したことで変わったのはせいぜい自分の机の汚さくらいである。
それどころか、マニュアルを関係部署に配って回ったところで人はマニュアルになかなか従わない。マニュアルがどれだけ改訂されても実際の仕事の方は創業当初から変わっていないという職場はごまんとある。
そのほかにも投資を集めるために理想的な語りとメディア露出ばかりに注力して成長が鈍ってしまい結局は投資家も逃げていく財務担当取締役から、会社に遅刻しないように全速力で赤信号を無視して事故に遭って遅刻どころの騒ぎではなくなる新入社員まで、こうした悲喜劇は数多くみられる。
仕事に携わるすべての人が経営の巧拙の当事者なのである。
このことに気づくだけでも、ここで挙げた不条理・不合理の多くは回避できる。
Deming, W. E.(1986). Outofthecrisis. Cambridge, MA: Massachusetts Institute of Technology, Center for Advanced Engineering Study.
エリヤフ・ゴールドラット(著)・ラミ・ゴールドラット(監)・岸良裕司(監)・ダイヤモンド社(編)『何が、会社の目的を妨げるのか:日本企業が捨ててしまった大事なもの』、ダイヤモンド社、2013年。
岩尾俊兵『13歳からの経営の教科書:「ビジネス」と「生き抜く力」を学べる青春物語』、KADOKAWA、2022年。
岩尾俊兵・秋池篤・加藤木綿美『はじめてのオペレーション経営』、有斐閣、近刊。
大野耐一『トヨタ生産方式:脱規模の経営をめざして』、ダイヤモンド社、1978年。
Pluchino,A.,Rapisarda,A.,&Garofalo,C.(2010).ThePeterprinciplerevisited:Acomputationalstudy.PhysicaA:StatisticalMechanicsanditsApplications,389(3),467-472.
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慶應義塾大学商学部准教授
1989年、佐賀県有田町生まれ。父の事業失敗のあおりを受け高校進学を断念、中卒で単身上京、陸上自衛隊、肉体労働等に従事した後、高卒認定試験(旧・大検)を経て、慶應義塾大学商学部を卒業。東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程を修了し、東京大学史上初の博士(経営学)を授与される。大学在学中に医療用ITおよび経営学習ボードゲーム分野で起業、明治学院大学経済学部専任講師、東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員、慶應義塾大学商学部専任講師を経て現職。専門はビジネスモデル・イノベーション、オペレーションズ・マネジメント、経営科学。著書に『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)、『日本“式”経営の逆襲』(日本経済新聞出版)、『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)がある。
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