“ウザさが癖になる”スズ子の弟子・小夜ちゃんを熱演 富田望生「天国の父と震災の孤独が、私を女優へと導いた」 | ニコニコニュース
「小夜はおっちょこちょいで早とちり、それにおせっかい……ある種、すごい行動力でいろいろとやらかすので(笑)、最初は演じていても『そこまで騒ぎます?』って思ったりもしたんですが」
演じる役柄について、こう言って笑みを浮かべたのは、注目の若手俳優・富田望生(23)。
富田は現在放送中のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』で、趣里演じる主人公・福来スズ子に憧れ、押し掛けるようにして弟子入りを果たす「小林小夜」を好演中。小夜ははた迷惑な言動で、見る者を少々イラッとさせる濃ゆ〜いキャラ。
ただ、その裏には幼くして奉公に出されるなど、苦労した過去が見え隠れしている。生まれ育った福島のお国言葉が印象的だ。
「私、エゴサーチするんですけど、小夜のこと『好き』とSNSに書いてくださる人がいるいっぽう、『小夜ちゃん、うるさい!』というご意見も(苦笑)。
じつは現場でも、スタッフの人から『小夜ちゃん、まったくもう!』って、最初はよく言われてました。
でも3カ月、4カ月と撮影が続くうちに、スタッフの皆さん、『だんだん小夜ちゃんの虜になってきた』と言ってくれるように。
だから、視聴者の皆さんもこの先、そうなってくれたらうれしいなって思います」
富田も、小夜と同じ福島県のいわき市出身。そして、誕生の5カ月前に父を事故で亡くし、母子家庭で生まれ育つという苦労も。
「母子家庭だからつらかったなんて記憶はないんです。
もちろん母は働いていたので、一緒にいられる時間は、よそのお母さんに比べたら短かったと思う。
それでも休日には母と、ドライブや公園に遊びに。楽しい思い出しかないんです」
母、そして母方の曽祖母とともに暮らしていた富田。11歳のとき、今度は東日本大震災に遭遇する。
「怖かったですよ。『どうやって、いまこの1秒を生きていこう?』って、子どもなのに、そんな気持ちになりましたから」
ホテルの支配人をしていた母。震災後は関東にある系列のホテルに職場を移すことに。そこにあったミニキッチン付きの部屋で、家族全員、避難生活を送った。
「小学校も転校しました。でも、私はどうしても、いわきの学校に戻りたくて。母が新しい家を探そうとするのを、ずっと反対してました。
それで、卒業式の10日前にもう一度、いわきの小学校に転校させてもらったんです。卒業式だけは、いわきの友人たちと一緒に出ることがかないました」
その後は、東京の中学校に通った。いわき時代はピアノを習い、将来はピアノの先生になるのが夢だった。
だが、震災後の移住で環境が大きく変わると、その情熱は次第に冷めていったという。
「東京でも教室探して通ったんです。でも、いわきで通った教室への思い入れが強かったのか『ここでピアノ、やりたくないな』って」
無気力になっていく娘を心配し、母はさまざまな習い事を勧めた。でも、興味をかき立てるものはなかなか見つからなかった。
■テレビに出れば友達が見てくれる
「そんなときです。子役養成所のオーディションの広告を見つけて咄嗟に『これだ!』と。母に内緒で応募したんです。
でも、俳優になりたいと思ったわけじゃなくて。ただ、テレビに出たかったんです」
このとき、富田は中学1年生。まだ携帯電話も持っていなかった。
「とにかくテレビに出られたら、いわきの友達が見てくれるんじゃないか、そう思ったんです」
このときもまだ、胸中にあったのは故郷のこと。そして、その思いが、結果的には彼女を芝居の世界へといざなったのだった。
「エキストラやレッスンをして。中学3年で最初の出演作になる映画『ソロモンの偽証』のオーディションに合格したんです」
主要キャラの役を射止めた富田。役作りのために15キロ増量を経て撮影に臨むなど、デビュー作とは思えぬプロ根性を見せる。
「役に近づきたい一心でした。このとき、監督からは『ご飯食べるのが好きなコだから』って言われて。そのコを演じるなら、私もいままで以上にご飯が大好きにならないといけないなって。そう思ったんです」
気付けば増えた体重と同じぐらい、演じることへの興味も膨らんでいった。
「私、お芝居がしたいんだって気がついたんです」
その後は、話題作への出演が相次ぐ。映画『チア☆ダン〜女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』では、やはり役作りのために増量を敢行。
「家庭環境に恵まれていない役柄だったので、ご飯ではなく、菓子パンやお菓子で太るように。そのほうが彼女の心情に近づけると」
いっぽう、教室に監禁される生徒役を演じたドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』(日本テレビ系)のときはーー、
「ふかふかのベッドで寝てたら、教室の硬い床で寝かされてるコの顔になれないと思って。家でも椅子で寝てました。
私、ちゃんと段階を経て、積み上げていかないと安心して演じられないんです。不器用だと思うし、心配性なんです」
昨年末には、演劇界の鬼才と評される福原充則氏演出の話題の舞台『ジャズ大名』にも出演、狂言回しの「やこ」という重要な難役に挑み、注目を集めた。
間もなく俳優デビューから丸8年を迎える富田。その出発点にあったのは、やはりあの苦い記憶。
「震災がなかったらこの世界に進んでなかったかなとは思うんです」
ここまで言うと「でも」と言葉を継いだ。
「母から聞いたことがあるんです。私の父は、まだ母のおなかにいた私に対してすごい夢を持ってる人だった、と。
『この子が生まれてきたら、とにかく興味を持ったことを好きなだけやらせてあげたい、好きな人生を歩ませてあげたい』って、そう話してたそうなんです。
だから、震災がなかったとしても、父が生きてたら、背中を押してくれて、やっぱりお芝居をやってたかなって。それが運命だったのかなって思っているんです」