10月1日、元プロレスラーで、参議院議員も務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至)氏の死去を受け、海外メディアからも悲しみの声が相次いでいる。
アメリカのプロレス団体「WWE」は、2010年に殿堂入りを果たしている猪木氏に、公式サイトで「訃報を知り悲しみに暮れている」と追悼のメッセージを発信。「日本プロレス史における重要人物の一人であるイノキ氏は、スポーツ・エンターテインメント界で最も尊敬される男であり、母国では正真正銘のレジェンド」としたうえで、そのキャリアを振り返った。
『アントニオ猪木』についてまとめてみた
新日本プロレス (カテゴリ アントニオ猪木)
アントニオ猪木が日本プロレス選手会を除名され、日本プロレスから永久追放された。(詳しくは「密告事件」を参照。) 1972年1月13日、猪木が新日本プロレスリング株式会社を設立。3月6日、大田区体育館で新日本プロレスの旗揚げ戦を開催。 2005年11月14日、猪木が保有していた新日本プロレスの株式51…
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世界を沸かせた歴戦もクローズアップされた。スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シン、ハルク・ホーガンらとの激戦に触れたWWEは、「最も有名な試合」として1976年6月に実現したボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの“異種格闘技戦”を紹介。「この試合は、後に爆発的人気を博すことになる総合格闘技への道を開いた。そして、イノキ氏のプロレスに対する永遠の愛、尊敬の念を示すものだった」と称えた。