「今でこそ私の『背中でみせる男になれ』との言葉を体現してくれていますが、実はサッカーを諦めようとした時期がありました」
こう明かすのは長友佑都(36)の中学時代の恩師、井上博氏(53)だ。
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生活態度が荒れていた中学時代
「みんな、ブラボー、ブラボー、ブラボー」
ドイツ戦勝利後にこう叫んだ長友。カタールでの様子をスポーツカメラマンの渡辺航滋氏が語る。
「“長友塾”といわれているほど若手に慕われている。練習のランニングの時には相馬勇紀が積極的に話しかけ、コンディション作りなどについて聞いています」
愛媛県西条市出身の長友は、中学進学時に地元の強豪チーム「愛媛FC」のセレクションに落ち、西条北中のサッカー部に入った。監督だった井上氏が語る。
「しょうがなく部活をやる感じで、生活態度も荒れていた。髪の毛を染めてゲームセンターに通ったりね」
「今のお前の姿を見たら、お母さんどう思う?」
井上氏はそんな長友を公園に呼び出し、こう諭した。
「今のお前の姿を見たら、お母さんどう思う?」
そう語りかけると、長友は大粒の涙を流したという。
長友が小学3年の時に両親は離婚。母の美枝さんは冠婚葬祭の司会業をしながら、女手一つで3人の子供を育て上げた。
「お母さんは本当にバリバリ働いていた。そんな母に心配かけまいと佑都もサッカーに取り組む姿勢が変わった。当時のポジションはトップ下のゲームメーカー。中2くらいから『自分はイタリアに行く』と目標を語り始めました」(同前)
「おじいちゃんみたいに競輪やろうかな」
大阪に遠征してガンバ大阪ジュニアユースと試合し、大敗した後のこと。
「仲間たちは『記念になった』と喜んでいるのに、佑都だけは帰りのフェリーで『向こうが本気でプレーしてくれんかった』って泣きおったね」(同前)
高校は名門・東福岡高に進学。サッカー部を引退するにあたり、井上氏は長友からこう相談を受けた。
「サッカーで(大学推薦の)誘いが来んのですよ。おじいちゃんみたいに競輪やろうかな」
明治大学に進学、素質が開花
実は長友の母方の祖父と大叔父は競輪選手である。苦悩を打ち明ける長友に、井上氏はこう告げた。
長友は「親がこんな高い学費を払ってくれてるんだから」と勉強も頑張っており、指定校推薦で明治大学に進学。サッカー部に入ってサイドバックに転向し、素質が開花したのだった。
井上氏は長友の今後にこう期待する。
「まずは『カタールでやり切る』と言っていました。今大会をサッカー人生の集大成にしようとしているようです。スペイン戦でも日の丸を背負って躍動しているところが見たいですね」